チーム編成では失敗しても、指揮官としての評価は絶対的──。独自の手法が反発を呼び、球団の内紛劇の末に失脚することになった「オレ流GM」の前に、リベンジの道が現れた。中日を戦々恐々とさせる「現場復帰」の全貌を明らかにする。
年の瀬の中日に激震が走った。昨年12月20日、週刊アサヒ芸能で既報どおり(16年12月15日号)、契約満了による落合博満GM(63)の1月末での退団が発表されたのだ。3年前のGM就任の際に落合氏は、球界人事のほとんどが11月には固まることを見越して、1月末までの任期を要望。しかも途中解任の場合は、年俸の3倍の違約金を払わねばならないという狡猾な契約を結び、簡単にクビを切られないように策を巡らせておいたのだが、功を奏さず事実上の解任となった。
あらためて説明するまでもないが、落合氏への逆風が吹き始めたのは、昨年8月に谷繁元信前監督(46)と佐伯貴弘前守備コーチ(46)を途中休養させた事件。チームは8カード連続で負け越して最下位に低迷、観客動員が激減していた。
そんな状況に業を煮やし、事実上の電撃解任を断行したのだが、それを白井文吾オーナー(88)に進言、裏で画策していたのが落合氏だったという事実が発覚すると、GMの責任を問う抗議が球団に殺到。ナゴヤドームでは「落合GMは去れ!」のボードを掲げたファンと球団側が衝突するなど、落合批判はエスカレートしていった。名古屋の球界関係者が嘆息する。
「森繁和監督(62)が代行になっても成績悪化と観客動員低迷を止めることができず、『やっぱり悪いのは監督ではなくGMだ』と、ファンの怒りが爆発した。ついには『殺す』だの『爆破する』だのという物騒な脅迫状やメールが球団や落合氏自身に届く事態に発展していったのです。チームの人事権を一手に掌握する落合氏の最大の理解者だった白井オーナーも、さすがにもうかばいきれなかった」
その白井オーナーが残したコメントというのが、
「若い谷繁監督にサポート(落合GM)が必要だと思っていたが、批判的な人もいたので長続きはしないだろうと。一生懸命やっても、誰も評価しないんだから。いろいろとトラブったしな」
だが、退任に至った真相は明らかにはされず、さまざまな情報が飛び交った。中日グループ関係者が明かす。
「メディアは中日新聞本社の逆風に白井オーナーが耐えきれず、との論調で報じましたが、それは間違っている。中日本社には、白井オーナーに逆らえるような勢力や人物は一人もいません。それよりも、落合氏自身が白井オーナーに退任を申し入れたのだ、と。脅迫状が落合氏の東京の自宅や名古屋のマンションに届き、身の危険を感じて名古屋では1人でタクシーに乗れないほどだったらしいんです。さすがの落合氏も精神的にやられて、『もう任期いっぱいで退任させていただきます』となった、との理由が有力視されています」
かくして落合氏はGM就任3年間で4位、5位、6位の成績しか残せず、チームを去ることになった。