最初から大きく打って出る
これはと思う業種はいくつかあった。
コンピュータのハード会社、ソフト制作会社、貿易会社、病院のチェーン、情報関係の出版社‥‥。
どの会社をとっても、自分の切り口は新しく、かならずや成功するに違いないと踏んでいた。
孫は、1年半ものあいだ、しらみ潰しに調べた結果、自分の掲げた条件にもっとも合っているのはコンピュータ業界だとにらんだ。孫は確信していた。〈マイクロプロセッサが与える革命的影響は、まずひとりひとりが使うパーソナルコンピュータという形で始まる。そこからだんだん広がっていく〉
孫は、創業前からデジタル情報革命のインフラを押さえることを目指した。
まずは、個人的レベルで使われているパソコンにもっとも必要なソフトウエアの流通からはじめよう。
〈日本全国にパソコンソフトの制作会社は数十社ある。ソフトの小売店は数百店を超える。それなのに、メーカーと小売店を仲介する本格的な卸業者は、まだ日本で発達していない。これはいけるぞ!〉
同じソフトでも最終的にはあらゆるソフト、あらゆるデジタルコンテンツに入っていくが、とりあえずは圧倒的に数の多いゲームソフトに絞ることに決めた。
孫は、81年の夏に東京に進出した。社名を「日本ソフトバンク」とした。
孫は、ソフトウエア流通をやるにしても、ソフト制作会社を取引相手として揃えておかなければならないと考えていた。そして、販売網も持っていなければソフトは集まらない。しかも、自分たちが間に入ることによってソフト制作会社にもメリットがなければならない。規模のメリットを出さなければ、自分が直接小売店に出せばいいということになる。ニワトリと卵、どちらが先かという生物学的な命題のようなジレンマをどうして突き破っていくか。どうやってこの業界に名乗りをあげるか。
〈チマチマやっても仕方がない。最初から大きく打って出るんだ〉
孫は、そんなある日、エレクトロニクスショーという家電・エレクトロニクス業界の展示会が近く開かれることを耳にした。
孫は、資本金1000万円のうち、800万円を投じて出展する覚悟を決めた。孫は、展示会に大きなブースを借りた。松下、ソニーの出展規模とほぼ変わらない大きさだった。