「金額は最大限に呑むが、条件は一発回答だ」米コンピュータ関連企業買収で見せた大胆交渉術
熟考と研究を重ね「ここで天下を取る」と決めたコンピュータ業界。ソフトウェア流通会社・ソフトバンクを立ち上げた次の戦略は世界進出だった。足がかりとなるのはアメリカの巨大コンピュータ関連会社の買収。何のツテもなく、大物経営者を驚かせながら鮮やかに買収を成功させていった交渉術とは──。
初対面の会長に買収宣言
1993年(平成5年)秋、ソフトバンクの孫正義は、ラスベガスで開かれている世界最大のコンピュータ関連見本市であるコムデックスの見学に出かけた。
孫は、展示会の会場でコムデックスが売りに出されるという話を耳にしたのである。あくまでも噂にすぎない。しかし、世界に飛び出すためには、世界一の展示会であるコムデックスを手にするのがなによりも早い。
〈とりあえずは名乗り出ておこう〉
孫は、急いでコムデックスの役員たちに会いに出かけた。
マサチューセッツ州に本拠を持つインターフェイス・グループは、ラスベガスの有名なカジノを持つサンズホテルをはじめ、航空機部門、コムデックスなど5つの事業部門を持っていた。
ミーティングルームに入ってきた孫の姿を見て誰もが驚いた。オープンシャツでネクタイもしていない。ズボンもカジュアルだった。本当にコムデックスを買う気があるのか、一瞬疑いたくなるほどのラフなスタイルだった。しかも、広い額からは汗が噴きこぼれている。
孫は席に着いてハンカチで額を拭った。
シェルドン・G・アデルソン会長は、その後ふたたび驚かされた。
「私はこのコムデックスを所有することになります」
孫がいきなり言い出したではないか。
交渉どころか、売る側の条件や買う側の条件も話していない。買収に関しては、まだお互いの頭の中は白紙だったにもかかわらずである。
アデルソン会長が訊いた。
「十分な資金はあるのか」
孫は、はっきりと口にした。
「まだありません」
困惑と不安に満ちた中、アデルソン会長が訊いた。
「あなたはどうしてコムデックスを?」
「パソコン業界が好きなんです」
その孫の一言は、役員たちにいい印象を与えた。さまざまな業種から買収の話を受けていたが、彼らはコムデックスをパソコン業界でうまく展開できる企業に渡したかった。孫ならばそれができるのではないかと思わせた。今度は孫が質問した。
「コムデックスは、どうしてラスベガス以外に出てどんどんショーをやって大きく展開しようとしないのですか」
アデルソン会長が自信をもって答えた。
「すでに成功していて、十分な利益をあげている。これより大きくなることには関心がない」
展示会を開けば、世界各国のビジネスマンがラスベガスに足を運んできた。わざわざ世界各国にコムデックスのほうから出向く必要はない。そう感じているようであった。
孫は、その考え方を否定した。
「ラスベガスは、あなたがたが思っているほど大きくはない。むしろ、世界から見れば小さい。そんな所に世界中の人たちが来られるわけがないではないですか。ぼくが買えば、コムデックスを世界規模で展開していきます」
孫は、データを片手に熱弁をふるった。
「客を待っているのではなく、こちらから攻めていって、インフラや他のサービスを提供しなければならない。そういう努力をしないのは企業ではない」
アデルソン会長は、おもしろいことを言うやつだと言わんばかりにニヤリとした。
孫は、一気にたたみかけた。
「そのうち金が用意できるから、人に売らないでほしい。ぼくは必ず名乗りをあげるから」
アデルソン会長は笑みを浮かべた。「おまえの話はよくわかった。金ができたらまたおいで」
孫は、ゆっくりと席を立った。「いずれ、買収資金を持って戻って来ます」