大学生の「柔らかい頭」で…
孫正義の弟で東大生の泰蔵は、正義の家に遊びに行き、正義に訊かれた。
「ところで、ヤフーを知っとるや?」
孫正義は、弟と話す時にはつい佐賀弁になる。
「名前くらいは知っとお」
「ヤフーはな、スタンフォードの大学生が作っとんや」
「ほんと!」
「2人が趣味で始めてやっているうちに、インターネットの良さが口コミで広がっていって、もっとやってくれってことになって始めたんだ。今は1日だけで10万人もの人が見るんだ」
「それはおもしろいね」
「これは伸びるから、おれも日本でジョイントベンチャーをやるんだ」
泰蔵はヤフーに強く魅かれた。
「それはどうやって作ると」
「まだ決まっていない。合弁だけは決まったんだ」
「じゃあ、大学生が作ったものなら大学生のクリエイティブな柔らかい頭でやったほうがヤフーのノウハウを持ち込むだけでなく、日本の風土に合ったクリエイティブなサービスができると思うよ。大学生はいま春休みだから、東大だけじゃなく慶応や一橋といったところのインターネットバリバリの人間がたくさんいるよ。兄ちゃんのような経営的な意見を言うと、バリバリの人間を安く使える」
正義は眼をらんらんと光らせた。
「それはおもしろいな。100人くらい集められるか」
「100人くらいは集められるよ」
「ほんとにそんくらい集められるか」
正義は続けた。
「それなら、キック・オフ・ミーティングがあるから、出席してくれ」
泰蔵は数日後の土曜日、ヤフー・ジャパン設立に向けての初めてのミーティング、キック・オフ・ミーティングに出るために、浜町にあるソフトバンク本社に向かった。
孫正義が、泰蔵らが大学生を集めてチームを作って応援する話を説明した。ジェリー・ヤンは、にこやかに言った。
「そうか、よろしく」
泰蔵たちの計画案をほとんど修正することなく、ぽんと任せてくれた。
足し算でなく割り算でやれ
4月にはヤフー・ジャパンをオープンしなければならない。本体のヤフーが2年がかりでここまで来たものを、2カ月で作り上げようというのである。泰蔵が集めた100人をフルに動員して作り上げるしかない。浪人時代に綿密な学力アップの計画を作った経験がここで生きた。
泰蔵は、その時に兄の正義から言われたことを思い出した。
「計画を作るには足し算でやっては駄目だ。割り算でやらなければならない」
やることを積みあげていくのではなく、全体量を実行日数で割っていけば、一日にどれくらいの人数が必要でどうすればできるかが見えてくるというのである。ヤフーを運営するために必要なデータの量をはじめ、立ち上げの1カ月でどれくらい準備しなければならないかを考える。それを60日で分けてすべてを割り振りしていく。
泰蔵は思った。
〈ヤフーが2年がかりで築き上げてきた体制を2カ月で作らなければならない。時間体制をとらなければ、到底間に合わない〉
泰蔵は、1日24時間を6時間ごとに区切り、一区切りごとに10人ずつが入ってもらえるようにした。集めた100人のアルバイトには好きな時間に入ってくれるように頼んだ。その代わり、1人につき1日一区切りだけ詰めて仕事をしてもらい、それ以上詰めて仕事をすることは禁じた。
泰蔵は、仲間とともに開発用ソフトを作ることにした。自分たちでヤフーを作り上げる興奮に疲れなどはまったく感じなかった。そして1カ月かけて日本版ヤフーを立ち上げる態勢を作り上げた。ヤフーは、初めの予定どおり4月に開設することができた。
ヤフーは、アメリカの店頭市場であるナスダックの公開後、孫の読みどおりに急成長した。ヤフーを真似て追ってきたさまざまの検索サービスの会社を大きく引き離して、押しも押されもせぬNO1となった。