東尾の松坂への期待を表すこんなエピソードがある。東尾が監督として、契約交渉の場に立ち会った時のことだ。東尾は松坂に自身が200勝をあげた時のウイニングボールを渡した。それは、もともと一人娘の理子にプレゼントしたものだったが、それをわざわざ返してもらって、松坂に手渡したのだ。そして理子には、こう言ったという。
「彼が投げて日本一になった記念ボールを必ず渡すから、それまで待ってほしい」
そこには、東尾の松坂に対する「200勝をあげて自分を超える投手になってくれ」という意味が含まれていたのだ。東尾が松坂をこれほどまで寵愛した理由は、東尾自身の経験抜きには語ることはできない。東尾は、68年にドラフト1位で和歌山・箕島高校から当時の西鉄に入団した。そんなやさきに、面倒を見てくれたのは、当時エースだった池永正明だった。他の投手の前で、
「ワシの知り合いから頼まれた選手やけん」
と言ってくれたおかげで、他の投手からのいじめを受けずに済んだ経験があった。東尾は自分と同じように、18歳で入団した松坂に対しても、野球以外のよけいな心配をさせたくなかっただけに、格別の配慮をしたのだ。
東尾はキャンプ時に、当時、西武の選手会長・潮崎哲也、デニー友利(現DeNAコーチ)、石井貴(現西武投手コーチ)らチームの幹部に、松坂を最初の休みに焼き肉店に誘ってくれと依頼した。監督みずから小遣いを渡した食事会は、新人歓迎会となり、大盛り上がりになった。
これには後日談がある。入団前に、東尾監督と松坂は焼き肉店で会食をした。その時、松坂は網にどっさりとカルビを載せ、箸でつまんで食べた。それを見た東尾は、
「高校生の食べ方はそれでいいが、プロになったんだから一枚一枚きれいに伸ばして焼かないとバカにされる」
と諭した。その社会人としての薫陶を受けていただけに、くだんの焼き肉パーティでは、一枚一枚きれいに焼き肉を焼く松坂の姿があった。
それを見た先輩の投手たちからは、
「アイツ、若いのに(マナーを)知っているじゃないか」
と称賛の声が上がったという。
そんな中で、松坂はチームにすんなりと入り込み、シーズン中もデニーや石井貴らの気配りで、野球だけに専念できるようになっていったのだ。
「東尾さんにはプロの流儀をいろいろ教えていただきましたが、恩返しをしていません。東尾さんが監督をしていた7年間では、僕が入団してからは一度も優勝しなかったからです」
10年12月7日、東尾修の野球殿堂入りのパーティの席上、松坂はこう言って挨拶をした。「上司と部下」の関係では“最初の出会い”が大切だが、それはプロ野球の「監督と選手」の関係でも同じである。