キャリアを積んでいく吉田氏は、「キャバレー請負人」として、多くの新規オープンする店から相談を受けた。歌舞伎町で40年以上キャバレー、クラブの店長、支配人を歴任してきた斉藤善一氏(70)が最盛期を回想する。
「吉田さんには驚かされることばかり。オープンする店のために、3日間で80人のホステスを引き抜きで集めてきたこともあった。気風、人脈、どれを取ってもすごい人。面倒見もいいから、人が集まってついてくる。吉田さん抜きに歌舞伎町は語れないし、吉田さんあっての歌舞伎町だ」
吉田氏が店を移り変わることが歌舞伎町ではニュースになった。
98年11月16日の日誌にこうある。
〈(ロータリー開店)来るべき時が来た。想像以上の女性と客が集まってくれた。吉田を信じて共に行動してくれる人の期待に応えたい〉
「これは今の『ロータリー』を任されて開店した日のことだけど、前の店のホステス100人全員を引き連れて移ってきたんだよ。うれしかったな」
こうした剛腕がさらに評判を呼んだのだ。しかし、それも今は昔と述懐する。
「キャバレーは、戦後の混乱期に咲くあだ花にも似た、一夜限りの桃源郷として広がった。生バンドの演奏に乗って、一流歌手によるショー、まばゆい照明を浴びて華やかなドレスを着た女性とステップを交わす。単なる酒と女性との会話を提供するクラブとは一線を画して、キャバレーは文化の発信地にもなったんだよ。それが時代の変遷とともに今や“昭和の遺産”になりつつあるね」
しかし、吉田氏は嘆いてばかりいるわけではない。今年、傘寿(数え年で80歳)を迎えたが、店のホールでは先頭に立ち続けている。ビンゴゲーム大会に、ヌードショーや歌謡ショーなどのショーが行われ、ムードミュージックに乗ってのダンスタイムも設けている。こうした昔ながらのステージショーをやっているのは、歌舞伎町では「ロータリー」だけとなった。
「キャバレーには音と光と匂いがあった。バンドやショー、人のささやき、ざわめき、みごとに演出された華やかな照明、そして色とりどりの女性たちがいて、客も多種多様だった。私はキャバレーで育ったし、キャバレーが好き。日本の文化だとも思っている。だから、これからも生涯現役をモットーに、キャバレーらしい雰囲気の場所を提供し続けていきたいんだ」
吉田氏は、今日も酔客の笑顔を見つめている。
笹川伸雄(ジャーナリスト)