かつてはディープで、特殊な地帯とも言われた。それが今や、外国人にももてはやされる「クールジャパン」の代表だ。この地に第1号店をオープンさせて59年。「新宿ゴールデン街」の生き証人が、幾多の物語を述懐する。
店の看板に明かりがともり始める夜の7時。飲み屋が密集する狭い路地には外国人があふれる。
訪日外国人数はうなぎ登りで、ここ数年で倍増した。昨年は2000万人を超えたが、そんな彼らが目指すのは新宿。中でも人気スポットとなっているのが、今では海外のガイドブックやテレビなどで紹介される、この地域なのだ。
新宿ゴールデン街。花園神社と新宿区役所に挟まれた約2000坪の敷地に280軒を超える店が軒を連ね、昭和の薫り漂う長屋風の飲み屋街だ。
この街は通りごとに名前が付けられている。
厳密に言えば、このうち「G1」「G2」通りのみを「新宿ゴールデン街」と呼ぶのだが、名前が世界的に有名となったことから、現在は区画一帯の総称となっている。「突風」はG1通りにある。
オーナーの柴田秀勝氏は1937年3月、東京・田原町の浅草国際劇場そばの経師屋の息子として生まれた。
柴田氏は麻布中学、高校を経て日本大学芸術学部演劇科に進学し、国劇研究会で歌舞伎を専攻。歌舞伎役者・坂東秀調の指導を受ける。役者を目指し、大学卒業後、関西歌舞伎に就職が決定したが、卒業を目前にして家業が倒産。卒業式の日、柴田青年は失意の中、先輩宅に向かう。
その時、通りかかった三光町(花園街=現ゴールデン街)の電柱に貼ってあった広告が目に飛び込んできた。運命の分かれ道だった。
〈店舗 土地付き74万円〉
柴田氏の胸がときめく。
「ここで飲み屋をやってみよう」
58年、柴田氏21歳だった。
この年は売春防止法が施行されて色街の明かりが消え、旧青線地帯だったこの一角は多くの空き店舗が売りに出されていたのだ。
「不動産屋のおやじに『金がない』と言ったら、毎月2万円ずつ3年の月賦でいいと言う。けど、当時の大卒の初任給が歌謡曲にも歌われていた1万3800円。2万円は高い。そしたら、不動産屋のおやじがこう言う。『じゃ、1万は俺が店で飲んでやるから、毎月1万円払え』。3年間、おやじは毎日店に来てくれた。世話になった。いいおやじだったな」(柴田氏)
色街から飲食店街に転換した最初の店だったことから、店名は「トップ」とした。58年4月だった。その後、「突風」と名を変え、現在に至っている。
現在、花園街商業協同組合会長としてゴールデン街の振興にも努めている柴田氏には、もう一つの顔がある。声優・俳優だ。「タイガーマスク」のミスターX役の声といったら、おわかりの方も多いのでは──。「水戸黄門」のナレーターもやったものだ。
笹川伸雄(ジャーナリスト)