歌舞伎町でキャバレー業界一筋60年。男はグランドキャバレーが消滅した現在も、昭和レトロキャバレーの伝道師としてホールの先頭に立っている。1日も欠かさず書き続けてきた営業日誌を見ながら、歌舞伎町でのキャバレー半世紀を激白した!
「おい! 駐車場に車が入ったぞ。行け!」
男の声が響く。若いボーイやウェイターが威勢のよい返事とともに駆け出していった。行く先は目の前の東宝会館(現・東宝ビル=ゴジラビル)地下駐車場だ。男も彼らとともに駆けつけた。
「お前ら、車の前に寝そべろ! 車を入れるな!」
男の声に応じたボーイたちが、駐車場に入ってきた車の前に身を横たえる。
「この野郎! 何やってんだ!」
車の中から罵声が飛んだ。
「何だ、やかましい! 降りてこい!」
転がったボーイたちも下から応戦する。すると直前で止まった車から相手連中が降りてきて、横になったボーイたちの横っ腹に蹴りが入った。
「野郎! やったな!」
双方殴り合いが始まる。その間に男が車のドアを開ける。車内には、男が店長を務める店のA子がいた。
「早く降りてこい」
店長は手を引っ張ってA子を車外に出すと、そのまま向かいのビルに連れ去った。
「待て!」
追いかけようとする車に乗っていた男に、間髪をいれずボーイが殴りかかった。別の場所でも殴り合いが続き、何人かが頭や額、口、鼻から血を流している。
目の前に広がるのは、人が行き交う歌舞伎町の街並みだ。誰が呼んだのか、目の前の歌舞伎町交番から警察官が走ってきた──。
この店長こそ、歌舞伎町でキャバレー一筋60年、「歌舞伎町のレジェンド」と言われている吉田康博氏(79)。回想シーンの若かりし当時の吉田氏は、東宝会館の向かいにある新宿ジョイパックビル7Fにあったクラブ「ムーラン・ドール」に勤めていた。フルバンドが入り300人ほどの女性が接客するキャバレーだ。
一方、吉田氏らに“襲われた”のは、1973年に東宝会館にオープンしたクラブ「ハイツ」である。
吉田氏には、店長として店を任されてから50年にわたって書き続けてきた膨大な量の営業日誌がある。
73年9月20日の記録を見ながら、吉田氏が当時をり返った。
「『ハイツ』がオープンする73年当時の歌舞伎町にはね、『女王蜂』『サクラメント』『クラブ・リー』『不夜城』『ニュージャパン』『ムーランルージュ』『シャンタン』『メトロ』って、ホステスが100人を超えるグランドキャバレーが10店舗以上もあって、食うか食われるかの戦国時代だったのよ。当然、女の子が足りない。ましてや、プロのホステスは引っ張りだこ、奪い合い、引き抜きが日常茶飯事だったんだから」
この一件も、原因は引き抜きだった。新しくオープンする「ハイツ」はソファが600席の超大型店。いい条件で他店の中堅どころのホステスを引き抜いていた。条件がいいほうへ流れるのは常。「ムーラン・ドール」の子も数十人が声をかけられた。近くの喫茶店で面接すると、そのまま車に隠して店まで連れて行ってしまうのだ。
東宝会館は駐車場が地下にあり、そこから7Fの店までエレべーターで上がれる。吉田氏らは店の前に見張りを立て、入っていく車をチェックして、女の子の引き抜き、移籍を実力阻止したのだ。
「毎日、殴り合いの乱闘だった。最後は警察が間に入って、“引き抜いた子は全員返す。見張りは立てない。喧嘩御法度”と、手打ちになったんだよ。結局、うちの子は1人もハイツにやらなかった」(吉田氏)
笹川伸雄(ジャーナリスト)