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食事には興味を持たぬ田原さんが、一つだけ大事にしていること。それは、毎日いろんな人たちと会うことだという。
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家で本を読んだり、原稿を書いている時以外は、たいてい人と会っています。その理由をひと言で言えば、「好奇心」。これが僕の原動力なんです。人と会う時はいつも、「この人は何をしているのだろう」「何を考えているのだろう」ということを知りたくてたまらなくなります。やっぱり、人っていうのはおもしろいですよ。
僕はどちらかというと、世の中から顰蹙を買っている人と会うのが好きなんです。ロッキード事件の田中角栄さん、リクルート事件の江副浩正さん、先頃公民権を回復した鈴木宗男さん、ライブドア事件の堀江貴文さんなどです。
彼らに共通するのは、裁判の結果はともかくとして、冤罪の可能性が拭いきれないということです。
僕は、田中さんも江副さんも冤罪だと思っています。彼らの事件の背景には「悪いヤツはやっつけろ」「誰が悪いヤツかは俺たちが決める」「徹底的にやっつけるためには何をしてもよい」という、検察や警察の「正義感」があったような気がしてならない。このような価値観は、とても危ないものだと思いますね。
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「朝まで生テレビ!」が人気を呼んだのも、映画監督の大島渚、作家の野坂昭如といった政治的スタンスの異なる出演者たちが、真剣かつ本気で討論をしてくれたからだという。同世代の彼らが鬼籍に入った今、田原さんは寂しさと同時に危機感を感じている。
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その危機とは、集団的自衛権の行使容認や憲法改正論議の高まりなど、日本を戦争のできる国にしようという動きが進んでいることです。
僕の年代というのは、戦争を知っている最後の世代です。僕は小学校5年の夏休みに終戦を迎えました。1学期まで、校長や担任から「この戦争は、欧米の植民地となっているアジア諸国を独立させる正義の戦争だ。キミらも早く大人になって、この戦争に参加しろ」と教えられました。
それが2学期になると、同じ先生が「あの戦争は侵略戦争だった」と、言うことをガラッと変えていた。
新聞もそうです。1学期までは英雄として書かれていた東条英機さんが戦争犯罪人となった。その後の中学時代も「平和が何より大事だ。戦争が起きそうになったら、キミらは体を張って阻止せよ」と教わりました。
ところが、高校1年で朝鮮戦争が始まった時、僕が「戦争反対」と言ったら、「お前は共産党か」と怒られた。教師の発言がブレる様を2度も経験したことで、「大人たちがもっともらしい口調で言うことは信用できないな」と思いました。
こういう経験をしている最後の世代として、あの戦争が間違った戦争だったこと、日本が世界から孤立し、勝てる見込みのない戦争に突入していったということを、若い世代に伝えなければならない。80歳を過ぎて、その使命を強く感じるようになっていますね。
田原総一朗:1934年、滋賀県生まれ。64年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社。数々のドキュメンタリーを手がけたあと、独立。ジャーナリストとして執筆するほか、番組制作も数多く手がける。「サンデープロジェクト」では討論を担当し、放送1000回を超える長寿番組に。87年にスタートした「朝まで生テレビ!」も30周年を迎えて、今も放送中。