スポーツライターが解説する。
「Tさんは藍ちゃんより3歳ほど年上で、学生時代にはサッカーに夢中だったスポーツマン。アスリートのバックアップをしたくて、流暢な英語力も生かせる現地コーディネーターの仕事を選んだそうです。藍ちゃんの試合がない時は、プロサッカーを観戦したり、シアトル在住の両親と男子ゴルフツアーを観戦していましたね。そんな仕事でもプライベートでも好青年を絵に描いたような姿を見て、藍ちゃんの両親も交際を許可し、07年頃から同棲生活がスタートしたようです」(スポーツライター)
そのT氏の仕事ぶりは、まさに八面六臂。
「基本的に、経理部門以外、宮里の身の回りは全て面倒を見ていました。米ツアーのエントリーに始まり、移動が飛行機ならばチケットの予約、車であれば200キロ、300キロと運転手を務め、宿泊先などの手配など、仕事は山盛り。当然ながら治安の悪い地域であれば、ボディガード役も引き受けていました」(前出・スポーツライター)
その献身ぶりから、家族からの信頼も厚かったT氏。当初は、マネージャーとしての役割を全うしていたが、2人の関係に微妙な変化が訪れたのは、10年のシーズン頃からだ。
「10年、米ツアー5勝をマークし、世界ランキングのトップに上り詰めたことが大きな転機となりました。藍ちゃんのキャディーは外国人で、現地集合、現地解散がポリシーの職人肌。試合会場以外は結局、Tさんとほぼ2人きりで過ごすようになっていました。Tさんへの比重はますます大きくなり、マネージャー兼主夫みたいな存在になったんです。藍ちゃんの両親が駆けつければ、滞在中のさまざまな手配もこなしつつ、藍ちゃんの健康管理も引き続き担当していた。宿泊先は常にホテルのキッチン付きの部屋。母親がいない時でも、ここに炊飯器を持ち込み、Tさんの握ったおにぎりを試合会場で食べていましたね」(別のゴルフ関係者)
米ツアーに挑戦していた宮里にとって、プレーに集中できる環境こそが成績を左右するだけに、献身的なサポートをするT氏の存在が徐々に大きくなっていったのは、当然の成り行きだろう。この頃から、T氏の敏腕マネージャーぶりも喧伝されるようになっていったという。海外特派員が話す。
「例えば、藍ちゃんが急にサインを求められれば、後ろからサッとペンを渡す。インタビュー取材であれば、『そろそろ時間です』とつれなく打ち切らず、会話の状況を見ながら、『あと15分ぐらいでまとめていただければ』と、予定よりもプラスしてみたりと、臨機応変に対応してくれるため、マスコミ受けも非常によかった。そうしたこともあってマスコミは気を遣って報道しづらくなり、2人の交際はますますタブー視されるようになりました」