麻央さんのガン闘病に伴って、海老蔵自身の生活も一変した。かつてのヤンチャだった時期がウソのように、仕事が終われば、自宅に直帰。現在、上演されている舞台の合間にも一回、自宅に戻って、妻の様子を確認する生活を送っていた。
「海老蔵さんは、麻央さんのガンが発覚して以降、健康にいい食品を調べては食卓に並べていたそうです。退院直後は固形食も食べられたようですが、徐々に体力が落ちて、点滴とジュースが中心の生活。亡くなる8日前の海老蔵さんのブログでは、知人から教わったレシピをもとに、たまねぎスープを作ったことも明らかにしているほか、子供のリクエストで簡単なカレーや食事も作ったりする“イクメン”ぶりも板についていました」(スポーツ紙芸能担当記者)
さらに退院前から、勸玄君が「7月大歌舞伎」に出演することが決定。史上最年少の「宙乗り」にも挑戦することになっていたことから、その雄姿を麻央さんにも見届けてもらいたいという希望も持っていた。梨園関係者が明かす。
「海老蔵さんも生きる希望こそが、長生きにつながると考えていたようで、勸玄君の歌舞伎の稽古を自宅で一緒に見せたこともあったようです。麻央さん自身も7月に本人の誕生日を控え、『勸玄の活躍が一番のプレゼントになる』と周囲にも漏らしていたそうです。7月3日の初日と麻央ちゃんの誕生日である7月21日、そして8月14日からの海老蔵さんのオフを家族みんなで過ごすことが、麻央さんの生きる目標にもなっていました」
加えて、“一卵性姉妹”とも言われた姉・麻耶の存在も大きな支えとなったようだ。
「麻耶さんは、5月に麻央さんが退院してからは、朝から晩まで海老蔵さんのマンションに付きっきりで、麻央さんが夜に就寝してから自宅マンションに戻る生活でした。彼女は、海老蔵さんがいない時間帯は麻央さんの話し相手になっていたほか、勸玄君や麗禾ちゃんの遊び相手にもなっていた。(麻央さんの母親の)Aさんが看病で手が離せない時は幼稚園の送り迎えも担当していたそうです。家族の中でもムードメーカーだったようで、その憔悴ぶりが気になるところです。麻央さんが亡くなった翌日にはラジオ番組の収録に出演していましたが、今後の活動についてはまったく白紙の状態のようです」(前出・スポーツ紙芸能担当記者)
才色兼備のキャスターとしての力量もさることながら、2人の子供を育て上げた麻央さん。「やはり我が家は最高の場所です」とブログに綴り、「最期の25日間」を文字どおり、家族水入らずで過ごせたに違いない。合掌。