テリー 美加さんはこのたび、そんな巨泉さんとの思い出を語った「父・巨泉」という本を出されましたね。いち早く読ませていただきましたけど、巨泉さんが家を出て行かれたのは、美加さんが4歳の時だったとか。
大橋 小さい頃なので、記憶がないんですよ。今回本をまとめてくれたライターさんが父のことを細かく調べてくれて、「この年に巨泉さんは家を出て行かれているので、美加さんは4歳だったのでは?」と。
テリー そうか、そんな年じゃ記憶にないですね。
大橋 当時、父はジャズ評論家で、部屋にこもって原稿ばかり書いていたらしいんですね。閉め切った部屋で父が原稿を書いていて、「そこには絶対に入っちゃダメ」っておばあちゃんに言われているのに、何とかしてそこに入ろうとしていたのは、ぼんやりと記憶にあります。
テリー お母さんのマーサ三宅さんは、巨泉さんについて何か教えてはくれなかったんですか?
大橋 母はジャズシンガーで、ほとんど家にいませんからね。毎日、夜はホテルやクラブのステージに立っているので帰ってくるのは夜中、起きてくるのも昼過ぎなんです。ですから、朝起きて、お弁当を作って、学校に送り出してくれるのは、全部おばあちゃん。
テリー 仕事でずっと家にいないというのは、母親というより父親みたいなもんですね。
大橋 それも、ちょっと堅気じゃない父親(笑)。でも、それで私と妹とおばあちゃんを養ってくれて、お手伝いさんまでいたわけですから。ありがたかったですよね、父親がいないのにお金の苦労がないわけですから。
テリー ただ、一方で授業参観や運動会みたいな学校行事に来てくれないとなると、子供心としては寂しいよね。
大橋 クラスメイトにからかわれることはずいぶんありましたよ、「お父さん、いないんだろう」って。当時は離婚が珍しくて、シングルマザーなんて言葉もなかったですから、きっと周りの人たちから見たら、うちはずいぶん異色だったと思います。おまけに母はいつも派手な服装で、夜は仕事に出ていましたから。
テリー 巨泉さんの存在は、物心がついてからテレビで知ったんですか。
大橋 そうですね。最初に記憶しているのは、「お笑い頭の体操」ですね。たしか、それをおばあちゃんが観せてくれて「あれがパパよ」って言われたんだと思います。そのあとに、「(巨泉×前武)ゲバゲバ90分!」も観たのかな。
テリー 当時だと「11PM」も始まってましたね。
大橋 あれは放送が夜中だし、私も小さかったので。
テリー そうか、あれは子供が観る番組じゃないか(笑)。お父さんの存在を確認して、どんな気持ちを抱きましたか?
大橋 どうもこうもなくて、おばあちゃんに「あれがパパだよ」と言われたから、「あ、私にもパパはいるんだな。ああいう顔なんだ」という感じですよね。でも、「私のお父さんがわかって、よかったな」という気持ちもありましたね。
テリー そして美加さんは、10歳の時に巨泉さんと再会するんですよね。
大橋 実はそれもハッキリとは覚えてないんですが、父は本にそう書いていましたね。継母の寿々子ママ(大橋寿々子)と再婚して、それを機に「子供たちにも会ったほうがいい」と思ったみたいです。