テリー どういった形で巨泉さんと再会されたんですか? どこかのホテルの部屋にみんなで集まって、みたいな感じですか?
大橋 ある日突然、母の運転する車に乗せられて、どこかへ連れて行かれたんです。で、車がパッと止まったら、隣に父が乗っている車が止まっていて、母に「はい、パパだから会ってらっしゃい」って。もう、有無を言わせずって感じでした。
テリー そりゃまた急な話ですね(笑)、ビックリしたでしょう。巨泉さんとは、妹さんと一緒に会ったんですか。
大橋 たぶん、私1人だったと思います。理由はわからないんですが、妹はその時にはいなくて。
テリー しかし、いちおう顔を認識しているとはいえ10歳の女の子がいきなり知らないおじさんの車に1人で乗るなんて、ちょっとハードルが高いですよね。
大橋 はい、正直に言うとちょっと嫌でした(笑)。
テリー で、どこへ行ったんですか?
大橋 その頃は、まだ父が(世田谷の)成城の家を建てている途中だったと思うので、恐らく仮住まいのマンションだったと思います。部屋中に本や書類が積み上げられていて、「よくこんな散らかったところで暮らしてるな」と思ったのを覚えています。
テリー そこには寿々子さんも?
大橋 いました。当時、寿々子ママは21歳だったと思うんですけど、細くて背が高くてモデルみたいで、「こんなきれいな人が奥さんだなんて、本当にこの人、私の父なのかな?」って感じでした。
テリー でしょうね、何しろ当時の人気アイドルだからなァ。
大橋 そのあとから、定期的に会うようになったんですよ。成城の家へ年に1回ぐらい遊びに行ってたのかな? 寿々子ママが作ってくれたごちそうを食べたり、ホテルで食事をしたり。
テリー その時、どんな話をされたんですか?
大橋 何を話してたんでしょうねェ(笑)。それがまったく覚えてないんです。でもたぶん、「最近、学校はどうなんだ?」とか当たり障りのない話だったと思います。もっとも、私が大学生になってジャズを本格的に歌い始めてからは、とても話が合うようになりましたし、話す機会もずいぶん増えましたけど。
テリー そうか、ジャズが父娘を結んでくれたんだ。
大橋 そうだと思います。私がジャズシンガーにならなかったら、きっと父とはここまで親しい関係を築けなかったと思います。幸せな家庭環境だったとは言えませんでしたけど、普通に両親と一緒に育った人たちに聞いてみると、高齢の親とたまに会っても、「元気?」とかそんなやり取りをするくらいで、そんなに話が合わないって言うんですね。
テリー ああ、なるほど。確かにそうだよね。
大橋 だから逆に、子供時代の成長を見てもらえなくても、大人になってから30年以上も共通の話題で話が合ったのは、とても幸せだったかなとも思います。私と父は映画も大好きなんですが、私が父に紹介した「ノー・マンズ・ランド」という映画をとても気に入ってくれて、週刊誌の連載で触れてくれた時にはうれしかったですね。