さらに、全国展開するなど事業の急拡大もまた、裏目に出ることになる。
00年以降、司法制度改革が行われ、弁護士の数が急増し、供給過多となって競争が激化していた。
「菅谷氏は05年に弁護士法人を設立し、全国主要都市に支店を構え、最盛期には50人以上のスタッフがいましたが、拡大路線は失敗した。近年は各支店を分社化するなど、弁護士法人の規模は縮小。ここ数年は、東京の本店のみとなっていました」(法曹関係者)
こうした中、菅谷氏は、横領に手を染めていたわけだが、周囲には弱気な本音をのぞかせていたこともあった。
「昨年の秋頃、たまたま裁判所で会う機会があったんです。その時、『弁護士は食えないから、新しいビジネスを考えている』と話していました。菅谷氏は以前、アメ車のキャデラックに乗っていたのですが、『それも手放した』と。顔色も悪く、憔悴している印象を受けました」(親交のあった弁護士)
その異変ぶりは、自身名義のフェイスブック上にも「菅谷死すともアクティブイノベーション(菅谷氏の弁護士法人)の魂は死なない」という書き込みを行うなど、破れかぶれになっていたようなのだ。
だが、その一方で、「弁護士の知識と経験をもって、不動産にあたる」と発言するなど、不動産ビジネスで一発逆転を狙っていたフシもある。知人が証言する。
「菅谷氏はU.A.Iという不動産会社を設立。『弁護士法人は清算し、今後は不動産ビジネスに専念する』と語っていました。元小結の旭鷲山とモンゴルで不動産開発の計画を進めていると聞いたことがあります。また、インドネシアの首都ジャカルタでのリゾート開発も検討していたようです」(前出・知人)
だが、不動産ビジネスでも、失った信頼だけは取り戻すことができなかったようである。