夏の甲子園で、これまで4度の全国制覇を果たしたPL学園(大阪)。1978年第60回大会での“逆転のPL”、83年第65回&85年第67回大会での“KKPL”、そして87年第69回大会の“立浪PL”と、そのどれもが印象深い。中でも史上4校目となる春夏連覇を達成した87年のチームは、高校野球通からは桑田真澄と清原和博(ともに元・読売など)を擁し、史上最強ともいわれるチームよりも強かったのではないかと目されている。
この年のPLは野村弘樹(元・横浜)、橋本清(元・読売など)、岩崎充宏の“三本の矢”と呼ばれたトリプルエースと主将の立浪和義(元・中日)を中心に、好守に渡っての完成度が高かった。安定した戦いぶりでKK世代がなし得なかった春の選抜制覇を達成すると、夏の選手権では優勝候補の大本命として登場。
だが、その初戦の相手・初出場の中央(現・中央中等教育=群馬)戦で大苦戦を強いられる。“PL有利”の下馬評はどこへやら。1‐0とリードした5回表に1死一、二塁のピンチを招くと先発した野村が三塁打を浴び、1‐2と逆転を許してしまったのだ。なおも1死三塁のピンチが続いたが、ここでリリーフした橋本が冷静にスクイズを外し、追加点を許さない。すると6回裏にPLが追いつき、2‐2のまま終盤へ。8回裏に一挙5点をもぎ取り、ようやく試合を決めたのであった。
続く2回戦では立浪を筆頭に3本塁打を浴びせるなどして九州学院(熊本)に7‐2で快勝。3回戦では5番・深瀬猛の2試合連続弾とエース・野村の甲子園初完封で高岡商(富山)に4‐0。準々決勝の習志野(千葉)戦では橋本が11奪三振の完投で4‐1と貫禄勝ちする。だが、この試合で、主砲の深瀬が右肩を脱臼してしまった。本来なら三角巾で右腕を吊らなければいけない重傷にもかかわらず、準決勝の帝京(東東京)戦に志願して出場。この帝京とは春の選抜でも準々決勝で対戦し、延長11回の末、3‐2でサヨナラ勝ちを収めた強敵だったこともあり、主砲の責任感からの強行出場だった。打球を処理するたびにファーストミットを外して左手でトスし、打撃ではスクイズを含むバント3つを決める。この献身的な姿勢に他の8人が打撃で応えた。初回に立浪の2ランで先制すると、2回表には立浪と片岡篤史(元・阪神など)の適時安打で3点。3回表、4回表にも追加点を挙げ、7回表には投手からレフトへ回っていた野村にも本塁打が出るなど終わってみれば、18安打で12得点。春に苦戦した帝京のエース・芝草宇宙(元・日本ハムなど)を完膚なきまでに打ち崩し、12‐5の圧勝で決勝戦進出を決めたのであった。
史上4校目の春夏連覇をかけた決勝戦の相手は“木内マジック”で知られる名将・木内幸男監督が率いる常総学院(茨城)となった。負傷した深瀬の代役に2年生の宮本慎也(元・東京ヤクルト)をサードに起用。宮本は5回までに6つのサードゴロを無難に処理するなど躍動する。試合は1回表に長谷川将樹が全試合初回得点となる適時打を放つと、2回表には宮本の左翼線二塁打と1番・尾崎晃久の右前適時打で1点追加。8回裏には4‐2と2点差に迫られたが、9回表に長谷川の適時打で点差を3点と広げた。投げては先発の野村から7回途中に岩崎につなぐ継投で逃げ切りに成功。5‐2で快勝し、立浪PLはKKPLも果たせなかった、史上4校目となる春夏連覇を達成したのである。
同校の野球部が活動を休止してはや2年。果たして“復活の日”は訪れるのであろうか。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=