昨シーズンをもって27年間に渡る生活を引退。今年から中日ドラゴンズの監督専任となった谷繁元信。現役晩年は沈着冷静なインサイドワークで相手の攻撃の芽を断つ典型的な“守備的キャッチャー”だったが、88年にドラフト1位で横浜大洋(現・横浜DeNA)に入団したときは「山陰の怪童」と呼ばれた注目のスラッガーだった。
86年に江の川(現・石見智翠館=島根)に入学した谷繁は、その自慢の強肩強打で、当時は全国的に名門とは言えなかったチームを2度も夏の選手権に導いている。2年生ながら4番に座った87年の夏の選手権は初戦で横浜商(神奈川)の前に散発6安打の0-4という完敗だった。だが、翌88年夏は島根県予選5試合すべてでホームランを放つという快挙を打ち立て、その打棒を全国の野球ファンに轟かせた。このときマークした7本塁打はPL学園の福留孝介(現・阪神)と並ぶ、夏の地方予選の最多本塁打記録でもある。
大会注目のスラッガーとして乗り込んだ甲子園では2回戦で伊勢工(三重)を9-3で破り、3回戦で強豪・天理(奈良)と対戦。この試合で谷繁は2本の長短打を放ち、島根県勢42年ぶりのベスト8入りに貢献する。
そして迎えた準々決勝。相手は“九州のバース”と呼ばれた山之内健一(元・福岡ダイエー)が4番に座る福岡第一。大会を代表するスラッガー対決に注目が集まった。
試合は初回に福岡第一が4点、江の川がその裏に3点を取り合う波乱の立ち上がり。その後も江の川は4回まで毎回失点を喫したのに対し、福岡第一はエース・前田幸長(元・中日など)が立ち直り、4回を終わった時点で3-9と試合が決してしまった。“打者・谷繁”は1回裏の反撃のチャンスで1点を返すタイムリーツーベースを放ったものの、以後は無安打2三振。対する“捕手・谷繁”は山之内を3打数ノーヒット2三振と抑え込んだものの、痛恨の2失策を犯し大敗した。
プロ野球史上歴代1位の3021試合出場を果たし、セ・リーグ屈指の名捕手となった谷繁。「山陰の怪童」は島根に悲願の優勝旗を島根にもたらすことはできなかったが、山陰地方が甲子園でも「やれる!」と、全国に知らしめた貢献度は非常に大きい。
(高校野球評論家・上杉純也)