今年の夏の大会の大阪府代表は5度目の夏の優勝に加え、史上初となる2度目の春夏連覇を目指す大阪桐蔭である。
だが、その大阪桐蔭を府予選の決勝であと一歩まで追いつめたチームがあった。全国的にはまったく無名の公立校・大冠である。4‐10と劣勢だった9回表に一挙4得点。甲子園まであと一歩のところで惜敗したのだ。と同時に、大阪府勢にとってはある快挙に迫る寸前のところでの本当に惜しい敗戦となったのである。
実は大冠の予選決勝戦進出は大阪大会では公立勢19年ぶりの出来事だったのだ。その19年前の98年の夏の大阪府予選は第80回という記念大会だったこともあって、北大阪と南大阪の2地区に分けて2代表が選ばれるようになっていた。このうち、北大阪大会の決勝戦に進出したのが府立の桜塚だったのだ。結果は関大一の前に0‐4で敗退し、甲子園出場はならなかった。
そもそも大阪府は昔から現在に至るまで大阪桐蔭や履正社、大体大浪商に上宮、現在は活動を休止しているPL学園など私学の強豪が多く、公立勢の甲子園出場は困難を極めている状況が続いている。
では、府立勢の夏の甲子園出場はいつ以来途絶えているのか。それは27年前の90年に出場した渋谷(しぶたに)までさかのぼる必要があるのだ。この年の渋谷はのちに大阪近鉄や中日、楽天、横浜DeNAで活躍する中村紀洋が2年生4番としてチームを引っ張り、みごと甲子園出場を果たした(初戦で山口県代表の宇部商の前に4‐8で敗退)。
このように公立校の夏の甲子園出場が長きにわたって途絶えている都道府県は神奈川県も同様で、奇しくも渋谷が出場した90年の横浜商までさかのぼる。また、東京都は東東京と西東京というように2校代表を甲子園へ送り込むことができるが、東東京は99年と01年に都立の城東が、03年に同じく都立の雪谷が甲子園出場を果たしているが、これが西東京はというと、80年の国立までさかのぼらなければならないのだ。
この年の国立は準決勝で堀越、決勝戦で駒大高という私立の強豪相手にともに2‐0というスコアで勝利し、春夏通じて初の都立校の甲子園出場という快挙を達成した。夢の晴れ舞台では初戦でいきなり前年に史上3校目の春夏連覇を達成した強豪・箕島(和歌山)の前に0‐5と完敗したものの、東大に多数合格者を送り込む文武両道の高校として当時、世間では大きな話題を集めたチームだった。
西東京、神奈川、そして大阪。公立校の夏の甲子園出場が久しくないこの3地区。いち早く代表校を送り出せるのは果たしてどこなのだろうか。
(高校野球評論家・上杉純也)