82年夏の甲子園の第64回大会、2回戦で帯広農(北北海道)と対戦した益田(島根)の9回表の攻撃の時にその事件は起きた。4‐2とリードしていた益田はこの回1点を追加。続く2アウト1塁から次打者がセカンドフライに倒れ、3アウトチェンジになるはずだった。ところがここで次の打者の池永浩二が打席に入ってしまう。4人いた審判団も、守っている帯広農ナインもおかしいことに気づかなかった。第3アウトを取ったことに気づいていたのは帯広農の投手ただ一人だったが、審判員にアピールをしなかったため、そのままプレーが続行されてしまった。結果的に池永はサードゴロで凡退。これ以上益田に得点が入ることはなかったため、帯広農にとってはまさに不幸中の幸いのような出来事となったのであった。
いったいなぜこのような事態が起きてしまったのか。実はこの凡ミス、スコアボードのアウトのランプが故障のせいで、2アウトの時点で1つしか点灯されていなかったのがその原因だった。記録員に指摘され、審判団もようやく気づいたようで、当然のように池永のサードゴロの記録は抹消された。
なお、試合はこのミスジャッジに関係なく、5‐2で益田が勝利しているが、事態を重く見た日本高校野球連盟は、この試合を担当した審判団4人全員を同日以降、謹慎処分とした。
(高校野球評論家・上杉純也)