ゴタゴタの続く中日ドラゴンズだが、今年からその主将を務め、チームの牽引役を務めるている平田良介。実は高校時代に甲子園でとんでもない怪物ぶりを発揮していた。
03年に名門・大阪桐蔭に進学すると1年夏から6番でレギュラー。同年秋から4番に座り、2度、甲子園に出場している。最初は04年、2年時の春の選抜。このときは初戦で二松学舎大付(東京)と対戦し、5-0で快勝。平田自身も3-0で迎えた7回裏に甲子園初本塁打となる中越え2ランを放った。続く2回戦はダルビッシュ有(現・レンジャーズ)を擁する東北(宮城)。この試合、結果的には大阪桐蔭は2-3と惜敗。平田自身もダルビッシュ有⇒真壁賢守という投手リレーの前に4打数無安打。初めての甲子園はわずか2試合で幕を閉じた。
2度目の甲子園は3年時の05年夏の選手権。その初戦の春日部共栄(埼玉)戦は1回裏に先制のタイムリー二塁打、3-6とリードされた5回裏には追撃のタイムリー三塁打を放った。試合も打撃戦のすえ9-7で逆転勝ち。2回戦の藤代(茨城)戦は8-1で快勝。この試合で平田は2本の長打を放ち5打数2安打。5回表には夏の甲子園第1号となる3ランを放っている。続く3回戦の清峰(長崎)戦は3打数1安打だったものの、チームは4-1で勝利。そしていよいよ、平田のバットが驚異の記録を作る準々決勝を迎えるのである。相手は1年前の春に敗れた東北高校だった。
まず平田は2回裏に左翼席最前列へと飛び込む先制ソロを放つ。4回裏には2打席連続となるライナーの一発を左中間へ。5回裏の第3打席は1死一、二塁のチャンスの場面で、ライトフェンス直撃の二塁打。そして第4打席。3-4と1点ビハインドで迎えた7回裏1死三塁の場面でなんとバックスクリーン右にぶち込む特大の逆転弾を放ったのだ。終わってみれば4打数4安打5打点。夏の甲子園での1試合3本塁打はかつて清原和博(元・西武など)だけが達成した大記録である。しかし清原はフェンスの手前に柵のあったラッキーゾーン時代。正真正銘の“スタンドイン3本”は平田が史上初めての記録であった。
準決勝では駒大苫小牧(南北海道)の絶対的エース・田中将大(現・ヤンキース)の前に敗れ去ったが、当時、中日の名将だった落合博満の目に留まったのは当然、3発の超高校級スタンドインだった。
(高校野球評論家・上杉純也)