待つこと1分、画面に正常値との旨が表示された。少しホッとする。その後、養生の済んだ機材を持ち、敷地南側から順に1号機から4号機まで立ち並ぶ建屋エリアまで移動すると、ガラス張りの建物前でバスを降りる。建物内で金属探知機検査を受け、二重扉のセキュリティゲートに到着する。
そこで東電側から渡されたカードをかざして2つの扉を開け、出口へ。そこから再びバスで今回公開された4号機建屋前まで行き、建屋1階で再び二重扉を通過する。
目の前は更衣スペース。我々はパンツ1枚になり、備え付けの「TEPCO」マーク入りのスウェット上下、靴下、綿手袋を着用する。靴下はズボンの裾を覆い込むように履かねばならない。
これで終わりかと思いきや、さらに建屋内で最も放射線物質付着の可能性が高いエリアに入るために必要なC装備と呼ばれる赤のカバーオール、新たな靴下とゴム手袋を重ね、赤のゴム靴とヘルメットも付けてようやく装備が完了する。その姿はまるでウルトラマンだ。
この格好で原子炉棟に入る二重扉の前に移動する。扉が開くとなぜかスイス民謡の「静かな湖畔」のメロディが大音量で流れる。最深部入り口が開いている警報の意味だという。
これを越え、エレベーターで6階オペレーティングフロアに到着。ようやく冒頭の使用済み燃料プールの光景を目にしたのだ。公開された復旧作業とは、震災当時、原子炉圧力容器内にあった燃料集合体全764本を取り出して使用済み燃料プールに移動するというもの。現在、第二原発は稼働停止中であるため、燃料棒を使用済み燃料プール1カ所で集中して冷却、管理を簡素化する措置だという。
前述した車輪を横倒ししたような穴は原子炉圧力容器内に通じる場所で、燃料取替機という機械で圧力容器内から燃料棒をつまみ上げ、水の中をそのまま使用済み燃料プールに移動させ、そこにあるラックに燃料棒を差し込む。
この作業を行うため、燃料取替機は燃料プール脇の柵のすぐそばに沿ってゆっくりと移動する。報道陣がその様子を撮影しようとプール脇に近づくと、案内役の東電社員から「危ないです」との大声が飛ぶとともに、トラックがバックする時のようなピーピーピーという警報音。一瞬、放射能漏れかとドキッとしたが、取替機との接触事故の危険を知らせていたのだ。綿手袋とゴム手袋を重ねて着用していることもあってか、カメラを持つ手のひらに汗がにじんでくるのがわかる。
結局、手間ひまの煩雑さとは対照的に、最深部の公開はわずか20分で終了した。
もっとも燃料棒の移動ができる4号機は、第二原発でも状態が最も良好で、被害が大きかった1、2号機のこの9月末の復旧状況は最終目標の50%程度。まだ半分は仮設設備で運用されているのだ。一見、何事もないかのように記憶の奥底に追いやられている東電福島第二原発。ここでも事故はまだ完全収束とは言えないのである。