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新著では、野村氏がプロ入りした当時に「三大監督」と称されていた鶴岡一人、三原脩、水原茂の各氏についても頁が割かれている。中でも、自身が15年にわたって仕えた鶴岡氏とのエピソードは興味深い内容となっている。
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私は、こと野球に関して、鶴岡監督から学んだという意識はまったくないんです。鶴岡監督の野球は軍隊式の精神野球そのものでした。リードについて疑問をぶつけても「自分で勉強せい!」という答えが返ってくるだけ。直球を要求して打たれれば「何でまっすぐなんか投げさせたんや!」、カーブで打たれても「あそこで何でカーブを投げさせたんや」とどなられる。理由については一切、言及しない。正直、「どこが名監督なんだ」と思ったものです。
ほめられた記憶もほとんどありません。1965年に三冠王を獲った時でさえ。「何が三冠王や。ちゃんちゃらおかしいわい!」とケナされました。
ほめられたのは、たった二度だけ。それだけに感激もひとしおでした。一度目は、プロ入り3年目にブルペン捕手として帯同したハワイキャンプで結果を出した時。帰国後の記者会見で鶴岡監督がこう言った。
「キャンプは失敗だったが、野村に使えるメドが立ったのが唯一の収穫だ」
二度目はレギュラーをつかみかけた頃。大阪球場の通路ですれ違いざまに「お前、ようなったな」という言葉をかけられたんです。この二つの言葉がなかったら、私はこれほど長くプロ野球の世界で生きていくことはできなかったかもしれません。
それはともかく、こういうタイプの監督の下で捕手を務めるのは大変です。レギュラーをつかんだ直後、サインを出すのが怖くなりました。サインを出そうにも指が動かない。野球というドラマの脚本を書いているのはサインを出している俺じゃないか、捕手は監督以上のことをやっているんじゃないかと気づくと、ますます怖くなる。自信をなくして捕手をやめようとさえ思いました。外野手にはそういうことはないでしょうね。