ついに「二刀流」が海を渡る。日本ハム・大谷翔平がメジャーリーグ挑戦を表明した。争奪戦勃発は必至だが、それを前にして、水面下では魑魅魍魎の主導権争いが繰り広げられていたというのだ。本人の意思が不在とまで言われる、「世紀の挑戦」の舞台裏に迫った。
それは「唐突」だった。昨年12月、札幌市内の球団事務所で行われた契約更改の席上で、大谷翔平(23)は日本ハムの幹部から突然、こう言われたという。
「来年以降、メジャーに行ってもいいが、行く準備はしているのか?」
その瞬間、大谷はハッと我に返ったというのだ。入団経緯を考えれば、狂喜乱舞してもいいはずのメジャー移籍容認である。直後の会見でも、「意思を尊重してもらえるということ。ありがたいです」と喜びの声を口にしていたのだが‥‥。
「当時の大谷は直前の日本シリーズで広島を倒し、日本一になれたことを誰よりも大喜びしていました。同年のリーグ優勝を決めた西武戦では15奪三振で1安打完封勝利を果たすなど、大事な試合でチームを勝利に導いたということで高揚していた。アマチュア時代から天賦の才を誇ると言われ続けたものの、プロ5年目にして野球人生で初めてビッグゲームを制したんです。日本一を達成して、人知れず泣いていたとも言われます」(スポーツ紙デスク)
その直後だったからか、大谷にとっては思ってもいないタイミングでの「メジャー移籍容認」だったようだ。
あれから、およそ1年。11月11日午前11時、都内で行われた会見で、大谷はメジャー挑戦を表明した。だが、これまで何度も日本人メジャーリーガーの旅立ちを取材してきたBBWAA(全米野球記者協会)の資格を持つベテランのジャーナリストは、首をかしげながらこう漏らすのだ。
「会見でも自分を奮い立たせてしゃべっていましたが、過去にメジャー挑戦を表明してきた松井秀喜、イチロー、ダルビッシュらと比較すると、圧倒的に『熱量』が足りない。本当に彼が今、メジャーに行きたいのか。どこか疑問が残りましたね」
大谷の現況について取材していると、確かに数々の「疑問」にぶち当たるのだ。花巻東高時代から日本球界を経由せずに「飛び級」でメジャー移籍を熱望していたことは周知のとおり。だからこそ日本ハム入団以降もその夢を温め続けていたはずだが、球団関係者は「大谷は今も英語ができないし、特に勉強もしていない」と打ち明け、こう続けた。
「そればかりか、メジャー経験のある吉井理人投手コーチ(52)がこんなことを言っていた。『(大谷は)何一つメジャーのことなんか、聞かへんかったな』と‥‥。吉井コーチはオリックスでの現役時代に、やはり今オフ、大谷と同じくメジャー挑戦する平野佳寿(33)とチームメートでしたが、その平野については『ガンガン(とメジャーに関することを)聞いてきたぞ』とも話していたんです」