事件発覚後、不気味な沈黙を守り続ける貴乃花親方(45)。その背景には、八角理事長(54)および相撲協会への根深い不信感があるという。そして、完全決裂の先には、「第二相撲協会」設立というクーデター構想まであるというのだ。
「あなた方のことは信用できないので、お断りします」
11月22日、相撲協会の執行部が貴乃花親方を役員室に呼び出し、貴ノ岩に日馬富士暴行事件の事情聴取に応じるよう説得を要請すると、八角理事長らに向かって、こう言い放った。
この貴乃花親方の発言は八角理事長、ひいては相撲協会に対する事実上の「宣戦布告」と言っていい。角界関係者は、「もはや相撲協会に居場所はなくなった」と前置きし、続けるのだ。
「貴乃花は公益法人である相撲協会のいわば重役として、本来なら事情聴取に応じる義務があります。ところがそれを執行部の面々の前で拒否したということは、現執行部に対する三行半と言っても過言ではない。このまま貴乃花親方は協会を出ることも視野に入れているのではないか。となると、新しい団体を作るしかないことになる。つまり『第二相撲協会』設立ということですよ」
実際、10月25日深夜の事件発生から4日が経過した29日になって、貴ノ岩から暴行の一部始終を聞いた貴乃花親方が真っ先に向かった先は、巡業先から程近い鳥取県警だった。さらには、11月3日に鳥取県警からの事実関係の照会で、日馬富士の暴行を知った協会側は貴乃花親方に電話連絡。その際に「階段から落ちたと聞いている」と不可解な回答をしていたが、これも相撲協会に対する不信感によるものだと、さる相撲部屋関係者が証言する。
「貴乃花親方が目の敵にしているのは八角理事長ですよ。その敵対関係は、昨年春の理事長選に表面化しましたが、以前から両者の関係は冷戦状態が続いていた。理事長選では、八角親方の対抗馬として出馬したものの、2対6票で惨敗。その後、巡業部長に任命されましたが、執行部には入れない、いわば閑職でした。これに貴乃花親方も抗戦。巡業に際して主催者側の挨拶を欠いたり、無断で行動するなど反抗的な態度が見られていたやさきの事件でした」
そもそも八角理事長と貴乃花親方の関係はともに横綱経験者ということもあり良好だった。ところが、その関係性に変化が起きたのは、10年1月の相撲協会の理事改選の時だった。前出・相撲部屋関係者が続ける。
「当時、貴乃花親方は二所ノ関一門にいて、序列から本来は、理事に立候補することができなかった。ところが、角界改革を支持する『貴乃花グループ』の若手親方たちを味方につけて当選。二所ノ関一門を離脱して、当時は『貴の乱』と呼ばれた。これに対して、一門の調整や調和を重視するのが、八角理事長です。いずれも角界の浄化という点では目標は一緒ですが、その手法がいわば『保守派』と『急進派』の対立構造になって現在に至っている」