第3次ブームを迎え、まさに生き残りを懸け群雄割拠の様相を呈しているものまねタレントたち。しかし、かつての「ものまね四天王」はベテランの域にさしかかった今も新たな可能性を模索している。そこには、ものまねに対する飽くなき情熱がほとばしっている‥‥。
85年「爆笑!スターものまね王座決定戦」=以下、ものまね王座=(フジテレビ系)のブレイクとともに火がついた“第1次ものまねブーム”は、「ものまね四天王」が牽引した。
その後、00 年頃から始まった“第2次ものまねブーム”ではコージー冨田や原口あきまさら新世代のものまねタレントを輩出した。
そして現在、数々のものまねスターたちが乱立する“ものまね戦国時代”に突入。第3次ものまねブームを迎え、群雄割拠の状態が続いている。第1次ブームから常に最前線で活躍をしてきたコロッケ(52)が、ものまねブームについて分析する。
「ものまねには、大きく分けてコピー派とパロディ派の2つがあって、前までは僕たちパロディ派の時代だったけど、もうおなかいっぱい、見飽きていたんですよ(笑)。だから今、歌のうまいコピー派がキラキラして見える。でも1年たつと変わってきて、また僕のようなパロディ派のものまねが戻ってくる。パロディがウケる時代もあればコピーがウケる時代もある。僕が若手に言いたいのは“押しつけないものまね”をやることでしょうね。料理だってどんなにおいしいものでも『うまいから食ってみろ、さあ食え、さっさと食え!』と言われたら食べる気なくすでしょ。芸の場合は、特にその傾向が強いと思う」
そして新たに台頭してきた福田彩乃、荒牧陽子たちの第3世代を見るにつれ、「ものまね王座」で、ブレイクしたかつての自分の姿と重なる部分も多い。
「コピー派は2、3回聞けば、どんなにうまくても飽きられてしまう。クリカンもコピー派だったけど『ドレミの歌』でいろんな人のものまねをやってくふうしていたでしょう。ものまねは奥がとても深い。だから一つのネタがウケても満足しないで、もっと追求してもらいたい。そして若い人たちもコンサートやディナーショーができるくらい、いろんなことを身につけてほしいと思う」
現状に満足することなくものまねエンターテイナーとして、06年にはラスベガスのシーザーズ・パレスでの公演を成功させたコロッケならではのアドバイスである。
ものまね芸を、さらに進化させ、一つのエンターテインメントショーとして確立させたコロッケにとっては、ショービジネスの中でも「ものまね」はある意味“隙間産業”の範疇という持論がある。
「ものまねの基本は隙間産業なんです。人と人との会話の間に僕たちが入ることで話題が増える。ファンからの手紙で、『夫婦ゲンカしていたのに、テレビでコロッケさんの松山千春さんのものまねを見ていたら、おかしくてケンカにならなくなった』という便りをもらった時は、とてもうれしかったですね。ものまねでみんなが幸せになる。これが理想なんです」
コロッケは「人と人の間の触媒」としてのものまねにさらなる可能性を見ているのである。