熊本県の民家で、寝たきりの女性が顔面血まみれで見つかるという事件がありました。顔に大小20カ所以上の傷を負ったこの女性、犬と野良猫を数匹ほど飼っていたそうで、殺人未遂事件として捜査していた警察は、猫の爪から血液反応を確認しています。女性は命に別状はないものの、重傷で入院したそうです。
きわめて珍しいケースですが、獣医師によると「発情期やマーキングの愛情表現をする猫は、同じ個所(顔面)を何度もひっかく」そうで、猫特有の行動原理が、女性に大ケガを負わせる原因となったようです。
では、ここで問題です。犬にかまれた・猫にひっかかれた‥‥このようなケースにおいて、医学的に病院に行くべきでしょうか。
犬の体内にある菌は人間に伝染する可能性は低く、うつっても重症化しません。例えば、犬の代表的な感染症であるジステンバーは人間の体に入っても感染しません。ペット犬にかまれた場合、治るまでに時間はかかりますが、包丁で切ったケガと同じ程度で済みます。
例外なのは「人獣共通感染症」である狂犬病です。かまれた直後は風邪に似た症状ですが、そのあとに不安感や精神錯乱などの神経症状が現れます。最悪の場合は筋肉麻痺から呼吸障害を起こして死に至ることもある病気ですが、予防接種が義務づけられ、野犬もいなくなった現代の日本に狂犬病の犬は存在せず、1957年以降、国内での感染例はありません。
日本やイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイなどは「狂犬病清浄地域」とされています。しかし、アフリカや東南アジアはいまだに「狂犬病発生地域」となっています。厚生労働省の発表によれば、2006年、日本とフィリピンを往復していた日本人男性が、フィリピン滞在中に、犬にかまれて死亡するという症例がありました。この時、男性はかまれた犬が飼い犬で傷も浅いことから気に留めていませんでした。
このように日本人が狂犬病にかかるとしたら、海外で犬にかまれるか、野生化したハクビシンやフェレットにかまれた場合となります。海外でかまれた場合、すみやかに内科の病院へ行き、医師に「どこで、どんな動物にかまれたか」を伝えてください。
一方、猫のウイルスは人間にも伝染します。最も有名なのは「猫ひっかき病(=キャットスクラッチ)」という人獣共通感染症です。猫にひっかかれた場合、通常は時間とともに治りますが、猫に寄生しているノミの菌が毛づくろいの時に猫の爪に付着していると、それが人間に感染します。3~10日の潜伏期間があるため直後は症状も現れませんが、重篤化するといつまでも化膿が続きます。腕をひっかかれたにもかかわらずリンパ節が腫れることもあり、この場合は抗生物質を投与して治療します。
また、予防接種をしていない野良猫にかまれた際、破傷風菌が体内に入る可能性もあります。こちらは重症になると全身の筋肉が麻痺して死に至ります。かまれたら、傷口が浅ければ食塩水で傷口を洗い、消毒して外科へ行ってください。
かまれずとも、猫にはトキソプラズマという寄生虫も存在します。飼い猫のトイレ掃除などで手に付着したオーシスト(猫の糞便に付着する接合子嚢)が人間の口に入って感染します。健康な人が感染しても症状が現れず、現れても軽い風邪で済みますが、幼児は重症化することもあります。
犬から受けた傷は「ただの傷」で済むことがほとんどです。しかし、猫の場合は「感染症」の危険性があり、悪化して長引く可能性があるので、犬の何倍も危険です。特に野良猫にひっかかれたら、念のため病院で診てもらいましょう。
■プロフィール 秋津壽男(あきつ・としお) 1954年和歌山県生まれ。大阪大学工学部を卒業後、再び大学受験をして和歌山県立医科大学医学部に入学。卒業後、循環器内科に入局し、心臓カテーテル、ドップラー心エコーなどを学ぶ。その後、品川区戸越に秋津医院を開業。