今でこそ、しっとりとしてお酒の飲み方も覚えた小泉だが、かつては「ゴッド姐ちゃん」よろしく、豪快な飲みっぷりは芸能界でもつとに有名だった。
「40代前半の頃は、飯島直子(49)やYOU(53)らと頻繁に飲み歩き、とにかく長い。閉店時間の朝5時を過ぎても店から出てこなくて、結局、昼12時まで飲んでいました。片手にシャンパン、片手にタバコがキョンキョンの定番スタイル。周りがバタバタ酔い潰れていく中、介抱していましたね。会員制のクラブで飲んでいた時は、飛び入りでDJを始めて、自分の曲をかけて踊りながらお客さんを盛り上げていました」(松本氏)
その生活ぶりも自然体そのもの。生活費の大半を気がねない友人との酒代に費やしていたというだけあって、天真爛漫な笑顔とフェロモンは長年の夜遊びのたまものと言っていい。小泉を知る民放局スタッフもこう証言する。
「事務所に所属していた時は給料制で、明細を見るのも嫌だったほど。後輩やスタッフにおごる分の酒代があればよくて、暇があれば飲みに行って、新宿2丁目のゲイバーの常連だった。小泉さんは酔い潰れるというより、疲れて気絶する感じ。閉店後に行きつけのバーのソファや玄関の外で寝ていたこともあったそうです」
40代になり、一時は御用邸で知られる神奈川県・葉山で生活を送ったもののネオンが恋しくなり、隠居生活は4年ほど前に解消。
「葉山だと友達があまり遊びに来なくなったり、私生活と仕事の切り替えが難しかったそうです。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(13年)の撮影が始まって、現場に通うのが大変だったこともあり、東京に戻ってきました。50代になってからは親友のYOUとの家飲みがもっぱらで、デパ地下の総菜を食べながらダラダラと過ごしているとか」(前出・民放局スタッフ)
16年2月には、90ページにわたりキョンキョン特集を組んだ雑誌「MEKURU」(ギャンビット)でスッピンや自宅を公開。異例の売り上げで重版となったこともあった。
「『アンチエイジング』や『美魔女』という言葉が大嫌いで、撮影現場に行くのもほとんどスッピン。女優で大先輩の沢村貞子に憧れていて、年を重ねても自然体でいたかった。映画関係者が深夜に電話で飲みの誘いをした時も、寝起きだったのか、ボサボサ頭で寝巻きのような格好で駆けつけ、呼んだ相手のほうが『本当にキョンキョン?』って驚いていましたね」(ベテラン芸能記者)
自由奔放に飲み続けたことで、極上の「燗熟ボディ」はよりいっそうイロッぽさを増していった。