華やかなルックスだけでなく、当時絶好調だったフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」を体現する言動で視聴者からの人気を集めた。今も語りぐさとなっているのが“旧中山道事件”。91年に出演した「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」で、旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違え、スタジオが大爆笑。女子アナウンサーのタレント化を象徴するシーンだった。
「上岡さんは彼女の天然ボケの大ファンで『息子の嫁にしたい』と絶賛するほど。彼女自身がゴルフを始めた際にはクラブ一式をプレゼントするなど、すっかりメロメロになっていました」(山中氏)
電撃退社も話題となる。入社からわずか4年の92年にフジテレビを退社し、フリーに転身。いきなりテレビ朝日の看板番組「ミュージックステーション」のサブ司会に抜擢され、フリーになった女子アナが芸能界でも活躍できる道を開いた。
「局アナ時代はとにかく忙しかったから、少し自分の時間が欲しくなったのだと思います。当時の彼女の勢いなら、『フリーでもやっていける』という勝算もあったでしょうしね」(前出・山中氏)
もちろん本人にとっては苦労もあったようで、周囲には「フリーになった時は、それまで味方だった人が手のひらを返す感じで大変だった」と漏らすこともあったという。
私生活でも奔放さを見せた。95年に妻子ある元所属芸能事務所社長との不倫が発覚した際は「ご家庭があって申し訳ないという気持ち以上に、どうしようもない愛を感じる」と発言し、世間の注目を浴びたが、その後02年に結婚する元フジテレビ解説委員の和田圭氏から再三アプローチを受けていたようだ。
フジテレビ関係者が明かす。
「2人の出会いは89年に和田氏がキャスターを務めていたニュース番組に有賀さんが出演したことがきっかけ。局アナ時代、『有賀さんが和田さんから猛烈なアプローチを受けている』と話題になり、彼女が和田さんと結婚した際、局内では“セクハラ婚”と呼ばれたほど。真面目な和田さんは有賀さんにずっと片思いで、01年頃にようやく交際に発展したそうです」
念願の長女も授かり、順風満帆に思えたが、06年に離婚。有賀さんは後年、和田氏との関係についてテレビ番組でこう語っていた。
「交際中から思うところがあって、『離れたほうがいいかな』と別れを決意しました。でも、その2日後に妊娠が発覚しました。産まれてくる子供のために何がいいのか考え、刑務所に入るつもりで結婚しました」
そんな経緯があったため、結婚後も“仮面夫婦”だった。価値観も「水と油」で、結局4年でピリオド。「子育てをするためだけの共同生活だった」と振り返っている。
離婚後も多方面で活躍。近年は漢字検定準1級を取得したり、クイズ番組で難問に正解するなど、かつての“おバカキャラ”とは異なる一面も見せていた。前出・山中氏が振り返る。
「彼女は自動車の国内A級ライセンスを持つほどの運転好き。一緒にゴルフをする時は、彼女の運転で連れていってもらうこともありました。『男性からドライブに誘われても、自分で運転します、と言っちゃうんですよ』なんて話していました」
シングルマザーとなってからは、男の助手席よりも独立独歩でハンドルを握ることを選んだ有賀さん。亡くなる前、看護師に遺したのは「娘のことが心配です。よろしくお願いします」という言葉だったという。合掌。