70年代から00年代にかけて、最も多くの超大作を撮った監督は佐藤純彌(85)であろう。パニック、ミステリー、宗教、ハードボイルド、戦争映画と、幅広いジャンルを手がけた。
走行中の新幹線が時速80キロ以下になったら爆発する──そんな斬新な設定で、日本初のパニック大作とされたのが「新幹線大爆破」(75年、東映)だ。主演の高倉健をはじめ、東映のオールスターキャストだったが‥‥。佐藤監督が言う。
「当初は犯人グループのリーダーを『仁義なき戦い』で大スターになっていた菅原文太に持って行った。ところが文ちゃんは『これは新幹線が主役だから』って断ってきた。ところが、脚本を読んだ健さんが『ぜひやりたい』と言ってくれたんだ」
はたして乗客を乗せた新幹線は爆発せずに無事に到着できるのか? 最後まで見せ場は続いたが、残念ながら期待ほどヒットはしなかった。
「それでも、フランスで大ヒットしたおかげで、再上映ではお客さんがたくさん入ってホッとしました」
高倉健とは、翌年の「君よ憤怒の河を渉れ」(76年、永田プロ)でもコンビを組み、中国では8億人を動員する特大ヒットを記録。現在、同作は「マンハント」のタイトルでリメイクされている。
佐藤監督は角川春樹事務所の大作路線でも「人間の証明」(77年)、「野性の証明」(78年)と連続でメガホン。両作とも海外ロケーションを敢行したが、「野性の証明」ではアメリカの広大な大地で繰り広げられる、高倉健と松方弘樹の銃撃戦が見せ場となった。
「弘樹ちゃんにヘリに乗ってもらって、健さんが地上にいての銃撃戦。ところが、ヘリの運転が荒くて、しかも弘樹ちゃんは高所恐怖症だから、あっという間に失神していた。僕が『撃って、弘樹ちゃん』と拡声器で叫んだけど、本人には聞こえていなかったね」
そして、日中合作として公開される「空海」だが、実はこちらも佐藤監督が84年に「空海」(東映)として手がけている。全真言宗青年連盟映画製作本部が東映と連携し、200万枚の前売り券を完売させた。そのため、制作費の12億円を用意できたという。
「予算もそうだけど、真言宗から2人の若い人が指導についてくれて、宗教という特殊な設定ながら、すごくスムーズにやれた。それに、中国で大ロケーションをやったんだけど、これも中国のコーディネーターがいい場所を見つけてきてくれて。非常に協力的で助かったよ」
こうした経験が、中国を舞台にした「敦煌」(88年、東宝)や、ロシアを舞台にした「おろしや国酔夢譚」(92年、東宝)にも生かされることになる。
そして佐藤監督は、戦争映画の「男たちの大和/YAMATO」(05年、東映)でも制作費25億円という破格のプロジェクトに挑む。70歳を超えていたが、興行収入は同年1位の50億円を上げ、みごと“ミスター超大作”の面目躍如となった。