大風呂敷を広げながら、ついに実現しなかった大作は、あるいは公開されたものより多いかもしれない。そんな“星のかけら”をここに、秘密上映!
「代々木(日本共産党の本部)が動員してくれりゃ、右も左もあらへん」
そうまくしたてたのは、東映の名物社長・岡田茂氏だった。73年に東宝が創価学会・戸田城聖第2代会長を映画化し、組織の動員力で大ヒットした「人間革命」に刺激され、東映の巻き返し策として目をつけたのが「実録・共産党」だった。
岡田社長は「仁義なき戦い」で知られる名脚本家・笠原和夫氏にシナリオを完成させ、あとはクランクインを待つばかりであったが──、
「代々木がよぉ、前売り切符思ったほど買わねぇから、やめたやめた!」
実際には、共産党側との交渉が不調に終わったとの見方もあるが、岡田社長のプランはまだまだ終わらない。
「昭和天皇をテーマに描いてくれや」
岡田社長は再び、笠原氏にシナリオを依頼。80年代の東映は「二百三高地」(80年)や「大日本帝国」(82年)など戦争大作が当たっていたが、これをさらに踏み込んだのが「昭和天皇」だった。
ただし、宮内庁の猛抗議を受けて計画は頓挫。前出の「実録・共産党」と同様、渾身のシナリオが封印された笠原氏は、大きなショックを受け、以降の仕事に身が入らなくなったと述懐している。
それでも岡田社長は、どこまで本気だったか不明だが「プロ野球黒い霧事件」「田中角栄伝」「実録・紅白歌合戦」「毛利郁子愛人刺殺事件」など、次々とアドバルーンを掲げていった。
こうした中、空前絶後の理由で製作が中止になったのは、大映が「ゴジラ」に負けじと特撮映画に取り組んだ「大群獣ネズラ」である。巨大化したネズミたちが東京を襲うという設定で、64年の公開を目指していたが‥‥。
大映の宣伝マンだった中島賢氏が言う。
「本物のネズミを数百匹も集めて飼育したため、ダニやノミが発生。撮影スタッフだけでなく、近隣にも被害が及んだことから、保健所の指導で中止を余儀なくされました」
これにより、大映の特撮第1作は「大怪獣ガメラ」(65年)に変更となり、東京撮影所の成功に刺激された京都撮影所が「大魔神」(66年)を作るなど、結果的に相乗効果をもたらしている。
最後は、弊社の創業者・徳間康快が企画した「阿片大戦争」である。19世紀の香港を舞台にした超大作で、ヒロインのヴィクトリア女王役に起用を願った相手とは──。
「ダイアナ妃に出演いただきたい。出ていただけるなら、ギャラは2億円を払う」
残念ながら、この映画が実現することはなく、またダイアナ妃も97年に非業の死を遂げている。はたしてオファーは実際にあったのか、そしてダイアナ妃の心を揺さぶったのだろうか‥‥。