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内閣総理大臣
政治
歴代総理の胆力「高橋是清」(1)性格や見た目から「ダルマ宰相」と呼ばれた
失敗なんとも多きの波乱万丈の前半生を送り、請われて総理大臣のイスに押し上げられ、その前後、都合7回も大蔵大臣に就任し、「わが資本主義史上の最高の財政家」と謳われた高橋是清は、まさに七転び八起き、その丸々とした恰幅のよさと陽気で大らかな性格と…
政治
歴代総理の胆力「原敬」(4)政権「10年遅かった」と無念の弁
その原は、最期はわが国現役総理大臣初の暗殺事件の中で命を落とした。この事件は、折から原はやがて天皇となる皇太子(のちの昭和天皇)には国際的見聞も必要と外遊案を打ち出したが、これに皇后が反対、さらに右翼陣営も反発という論争の中で起こった。大正…
政治
歴代総理の胆力「原敬」(3)原政権の誕生は時代の流れの象徴だった
わが国の政党政治の立役者にして、抜群の政治力を発揮した原敬の本格的な社会への第一歩は、新聞記者から始まった。「郵便報知新聞」「大東日報」の記者をやる中で、フランス語の堪能さと人一倍の努力家が買われ、外務省に採用された。ここで出会った人物が、…
政治
歴代総理の胆力「原敬」(2)「食事改善要求運動」で退学処分!
また、原もその田中も人心収攬術にたけていたが、共通したのは“使える”と思った人物に対しては、フルネームで名前とその経歴を頭に叩き込んでいたことだった。田中が官僚に対してそれを駆使し、縦横に大蔵省などの役所を動かしたように、原も自分を衆院選で…
政治
歴代総理の胆力「原敬」(1)リーダーシップは歴代トップクラス
「およそ世上の事物、その政事たると否とを問わず、非難すべきこともこれあれば、賛成すべきものもこれあるべし」「およそ──」の言葉は、わが国初の「平民宰相」と謳われ、一方でわが国初の本格的「政党内閣」を率いた原敬の政治姿勢が如実に表れている。こ…
政治
歴代総理の胆力「寺内正毅」(2)日本初の生活保護政策導入
一方、寺内の素顔は、若い頃は戊辰戦争、箱館・五稜郭の戦いに従軍、近衛第一連隊中隊長として従軍した西南戦争で田原坂(たばるざか)の激戦で右上腕部、右鎖骨に銃弾を受け、以後、右腕の自由を失うなど、勇猛果敢な人物であった。しかし、こうして軍人とし…
政治
歴代総理の胆力「寺内正毅」(1)「ビリケン宰相」と呼ばれた理由
前任総理の山本権兵衛が「帝国海軍の父」だったのに対し、こちら寺内正毅は元老・山県有朋が基礎を作った帝国陸軍を確立した人物であった。しかし、陸軍元帥までのぼりつめ、陸軍大臣を三つの内閣で経るなど軍人としては一級だったが、総理大臣としてはあまり…
政治
歴代総理の胆力「山本権兵衛」(2)妻は品川遊郭出身の元遊女
その後、山本は予備役に編入され、政治活動から離れていたが、約10年後、時の総理大臣の加藤友三郎が死去、お鉢が回ってきての第二次内閣の組織ということだった。しかし、ここでも山本はその力量の高さに比べ、「運」のなさにつきまとわれた感があった。巡…
政治
歴代総理の胆力「山本権兵衛」(1)一目置かれる高潔な人物
それまで陸軍の従属的立場だった海軍を、リーダーシップを発揮、数々の改革を行って地位向上を実現した「帝国海軍の父」がこの山本権兵衛だった。その意味では、帝国陸軍生みの親として抜群のリーダーシップを発揮した山県有朋とは、明治期軍政の“龍虎”と位…
政治
歴代総理の胆力「西園寺公望」(2)最期の言葉は「ヒゲをそってくれ」
一方、生い立ちを振り返ると、西園寺の“お公卿(くげ)さん”としての家柄は抜群であった。京都生まれの西園寺は徳大寺家で出生、西園寺家の養子になり幼名を美丸(みまる)から公望と改名した。徳大寺、西園寺の両家とも公卿としてのランクは「九清華(くせ…
カテゴリー: 政治
タグ: 内閣総理大臣, 小林吉弥, 西園寺公望, 週刊アサヒ芸能 2019年 7/11号
政治
歴代総理の胆力「西園寺公望」(1)総理退陣後に「キングメーカー」として力を発揮
現今の企業のトップリーダーなどにも、こうしたタイプがいる。周囲はその識見には一目置いているが、存在感に比して社長在任中の実績はとなると、これはといったものが見当たらないのである。しかも、トップリーダーの座を降りても、業界への影響力なお衰えず…
政治
歴代総理の胆力「桂太郎」(2)名妓、女傑「お鯉」の存在
これにより、桂は西園寺公望に政権を譲ることとし、一方で西園寺からは、ポーツマス条約賛成を取り付けて面目を保った。その後の桂は、この西園寺と交互に内閣を率いることで第三次内閣まで務めることになるが、第二次、第三次内閣では見るべき成果はなく、実…
政治
歴代総理の胆力「桂太郎」(1)「ニコポン宰相」との異名
憲政史上最長の総理大臣在任期間2886日という「レコード・ホルダー」である桂太郎は、一方で誰にでも愛想がよく、周囲への気配りも抜群、ニコニコ笑いながら相手の背中をポンと叩くという親しみを感じさせる人心収攬(しゅうらん)術にたけていたことで、…
政治
歴代総理の胆力「大隈重信」(4)無類の恐妻家で外に女なし
一方、この反骨の政治家は、政治以外のエピソードも豊富だった。記録に残る最古の始球式でボールを投げたのが、じつは大隈だった。明治41(1908)年、アメリカ大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部の親善試合でのことだった。振りかぶった大隈の投球は…