桜田淳子は「わたしの青い鳥」で73年のレコード大賞・最優秀新人賞を獲得。予選の時点からかぶっていた帽子は「エンゼルハット」と呼ばれ、トレードマークになった。アイドルとしても、タレントとしても非の打ちどころがなかったと萩本は回想する。
「番組の企画で、1度も『できない』とか『やれない』って顔をしなかった。欽ちゃんコーナーでなぎなたを使ったことがあったけど、他の新人はやり方を聞きに来るのに、彼女は感覚でわかっちゃうから自分で済ませちゃうんだ」
そんな萩本は80年3月に「スタ誕」の司会を卒業した。最後の特番には中3トリオだった3人を含め、ほとんどの出身者が集合した。萩本はプロデューサーの池田文雄から意外な言葉を聞いた。
「たった1人だけ泣いていた子がいた。俺も初めて見たけど、それが百恵だったんだよ」
都倉俊一の厳しいレッスンにも涙を見せなかった子が、番組以外の交流はなかった自分のために泣いた。それを聞いて、もう少し百恵と話しておきたかったと改めて思った。
百恵はその特番から半年後、三浦友和との結婚をもって芸能界から引退した。どこかしら自分自身の幕引きを、萩本の卒業に重ね合わせての涙だったのかもしれない。また萩本は三浦と奇妙な縁があった。三浦が初めて俳優としてレギュラーになったドラマ「シークレット部隊」(72年/TBS)に、萩本は第1回のゲストとして出演した。
「監督に東京湾に飛び込めって言われて、こっちは泳げないのにやらせるなって大ゲンカ。それを友和さんが囲んで見ていて、おっかないコメディアンだと思ったのが第一印象みたい」
萩本の生涯で唯一の悪役経験だったという。そんな2人の挙式には萩本も招待されていたが、朝から各局が中継している様子を見て参列を見合わせた。
「タキシードも着ていたんだけど、ニュース見てたら俺の行くとこじゃないなって思った。呼んでもらったのはうれしかったけど、美男美女の集まりに入っていくのがアタマ痛くなっちゃってね」
ただし、萩本が百恵のファンであることには変わりはない。自宅の玄関には3枚だけツーショット写真を飾っているが、尊敬する王貞治、渡哲也、そして美しかった百恵との写真である。
また淳子に対しても、92年の「統一教会・合同結婚式に参加」の報道以降、それとなく気にかかった。元の事務所の関係者をつかまえては近況を聞き出し、元気にやっていると聞かされると安心した。「もう20年か‥‥。淳子ちゃんもどこかでまた歌えたらいいよね。あれだけ歴史に残る番組を飾ってくれたんだから、声をかけてくれれば応援に行くよ。百恵ちゃんも復帰は無理でも、そろそろお茶くらい飲めたらいいね」
萩本だけではない。多くの男たちが「百恵と淳子」に情熱を傾けた日々があったのだ─。