今大会で4年ぶり12回目の出場を果たした智弁和歌山は3月30日の第2試合で創成館(長崎)と激突する。夏の選手権は1997年の第79回大会と2000年の第82回大会で2度の優勝がある智弁和歌山だが、実は春夏通じての初優勝は春の選抜である。94年の第66回大会だった。
この時のピッチャーの中心は強心臓が売りの右腕・松野真人と182センチの大型サウスポー、笠木伸二(NTT関西)の二枚看板。笠木が先発し、後半は松野が締めくくるという必勝パターンを持っていた。初戦の秋田戦こそ、普段とは逆で松野が先発して笠木が締めくくるという継投だったが、8‐4で勝利。2回戦では斉藤宣之(元・読売など)、紀田彰一(元・西武など)、多村仁(=のちに仁志に改名。元・福岡ソフトバンクなど)の強力クリーンナップを擁する優勝候補の横浜(神奈川)と対戦するも、笠木-松野の継投パターンで2失点に抑えた。打線も相手エースの矢野英司(元・横浜など)から11安打を放ち、10得点。10‐2の完勝であった。
準々決勝からは激戦が続いた。宇和島東(愛媛)との一戦は8回を終わって0‐4と敗色濃厚だったが、土壇場の9回表に1死から一挙に5得点。その裏に一度は同点に追いつかれたものの、直後の10回表に1点を勝ち越し。結局6‐5で逃げ切ったのである。
準決勝はこの大会、優勝候補の最右翼と目されていたPL学園(大阪)との大一番となった。試合展開は前日の逆転劇から一転、智弁和歌山打線がPLのサブマリンエース・宇高伸次(元・近鉄など)を初回から攻略し、4回途中までに4点を取ってKO。7回を終わって5‐1と試合を優位に進めた。だが、このまま黙っていないのが“逆転のPL”である。8回裏に2点を取ると、続く9回裏には大村(サブロー名義で元・千葉ロッテなど)にタイムリーが飛び出し、智弁和歌山は1点差にまで迫られてしまった。だが、リリーフエースの松野が後続を断ち、5‐4で逃げ切りに成功。智弁和歌山は春夏通じて初の甲子園決勝戦へと進出したのである。
迎えた決勝戦の相手はこれまた春の選抜で初めて決勝戦へと駒を進めてきた常総学院(茨城)。名将・木内幸男率いるこのチームに智弁和歌山は3回裏に2点を許し、追いかける展開となった。しかし5回表に1点を返すと続く6回表には一気に4点を奪い、5‐2と逆転に成功する。ところが8回裏にリリーフの松野が打たれて3失点。同点に追いつかれて勝敗の行方がまったくわからなくなってしまった。しかしその直後の9回表。1死満塁から2点タイムリーが飛び出して智弁和歌山が勝ち越し。これを今度は松野が守りきって、智弁和歌山史上初の甲子園優勝を成し遂げたのである。
ちなみに智弁和歌山は過去6回甲子園の決勝戦へ進出し、何と優勝と準優勝を交互に繰り返している。最後の決勝戦となった2002年夏の大会では準優勝止まり。次に決勝戦へ進出すれば、優勝する番なのだが、さて?
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=