鹿児島県の高校野球といえば、古くからの名門としては鹿児島実や樟南、最近の新興勢力として神村学園などが知られている。いずれも甲子園では実績のある強豪校だが、実は全国制覇となると意外なことにたった1度しかない。それが1996年第68回大会の鹿児島実である。
チームの原動力となったのは、エース・下窪洋介(元・横浜)。下窪はこの春の選抜までに28試合に登板。“消える”と評されたスライダーを武器に20試合で完投。うち、8試合で完封した。しかも秋の県大会で3度、続く九州大会でも1度ノーヒットノーランを達成している。公式戦の防御率0.27はこの年の参加校中の投手で堂々のNo.1。まさに絶対的エースであった。
その下窪を柱に、初戦では堅い守りを見せつけた。伊都(現・伊都中央=和歌山)相手に2回表の1死一、二塁の場面では併殺、5回表1死満塁のピンチではスクイズを本封してしのぎきった。結果、下窪は被安打5の1失点完投。2‐1で守り勝った試合だった。続く2回戦はこの前年夏の新チーム結成直後に兵庫県への遠征試合で対戦していた滝川二。その時は8回表まで4‐1とリードしていたにもかかわらず、その裏に守備の乱れから一挙4点を奪われて大逆転負けを喫した相手だった。因縁の相手に、下窪は大きな成長を見せつけた。“消える”スライダーを武器に、1回戦で15安打7得点をマークした相手打線をわずか内野安打2本に抑えたのである。結果、2‐0と97球での見事な完封勝利であった。
これで波に乗ったチームは続く準々決勝で宇都宮工(栃木)相手に2‐1で逆転勝ち。準決勝では3‐2で岡山城東を振り切った。こうして鹿児島県勢では1994年夏の選手権での樟南以来となる甲子園での決勝戦進出を果たしたのである。
決勝戦の相手は、この翌年の夏に全国制覇を達成することになる智弁和歌山。この時の智弁和歌山は高塚信幸(元・近鉄)、中谷仁(元・楽天など)、喜多隆志(元・千葉ロッテ)らを筆頭にまだ2年生が主体のチームであった。そしてこの若いチーム相手に鹿実はいきなりの先制パンチをお見舞いする。1回表の攻撃で相手のミスに3安打を絡めて3点を先取。4‐2でリードしていた8回表には下窪自らのタイムリー三塁打などで2点を追加。結局、6‐3のスコアで智弁和歌山を降し、鹿実は春夏通じて初の全国優勝を鹿児島県にもたらしたのである。県内の高校野球を長年に渡り牽引してきた名将・久保克之にとっては鹿実の監督就任30年目にしての悲願達成でもあった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=