この17年はキャンプ期間中、内野守備に課題があるという理由で首脳陣から左翼コンバートのプランも断行され、徹底的な外野の守備練習が繰り返された。井端弘和内野守備走塁コーチ(42)が付きっきりで指導する場面が多く見られるようになる。
「本来ならば井端コーチの担当は内野守備ですが、岡本のハートの強さにホレ込み、『コイツは必ず一人前にしてみせる』とみずから手をあげて守備練習の役割を買って出たんです。外野へのノックはもちろん、『足腰を鍛えるため』と内野ノックもガンガン打ち込み、特守で再三にわたって鍛え上げました。“鬼の井端”がこれだけ指導に熱を入れていた選手も、和真が初めてでしょう。公私にわたりかわいがっていたほどです」(チームスタッフ)
しかしながら、左翼コンバートは明らかに急造すぎてうまくいかずに頓挫。同年は左翼手として開幕1軍のスタメンを勝ち取ったが、チーム編成上で再び一塁守備に戻るなどポジションをたらい回しにされる形となった。このことが打撃にも悪影響が及んで2軍降格。またしても、「未完」のままシーズンを終えた。
そして18年シーズン、ついに岡本は覚醒の時を迎えるのだ。昨年オフ、これまで自主トレに帯同させてもらうなど世話になっていた先輩・村田修一(37)が、チームの若返りを図ることを理由に自由契約を宣告され、岡本は突然、村田の背番号「25」を背負うことになる。
「この一件がかなり岡本の心にズシリと響いたようですね。岡本は村田から『プレッシャーに感じることなんか何もない。お前のよさは、気にしないで自然体でプレーすることなんだ。俺はいつもお前を見ているぞ』と言われ、思わず涙したそうです。それまでは強心臓の一方、あまりにマイペースな一面もかいま見せていましたが、この時を境にして完全にリセットされました。村田がクビになると、昨年12月に岡本は面識のなかった西武の主砲・中村剛也(34)に知人を通じて連絡を入れ、『一緒に自主トレさせてください』と直訴して、短期間ながら本塁打を打つ極意を伝授された。ここまで岡本がガツガツと動くようになったのは昨オフが初めて。慕っていた大先輩のBCリーグ行きによって、おかわりとの自主トレ直訴や、松井臨時コーチへの積極アタックにつながり、今の打棒爆発に結びつけたんです」(松井氏とも親しいチームOB)
智辯学園で高校通算73本のホームランを放ち、入団当初から期待されていただけに、やや遅咲きの感もあるが、まだ21歳。このまま波に乗れるか──。いずれにせよ、巨人のV戦線の行方はこの男の浮沈が左右することになりそうだ。