弘兼 加藤九段や、藤井聡太六段の登場で、将棋も大ブームになりましたね。
加藤 ええ。私の引退と藤井六段のデビューが重なったのは印象深いです。
弘兼 加藤九段は、彼のプロデビュー戦の相手をされましたよね。実際に戦ってみて、いかがでしたか。
加藤 まず報道陣の数に驚きました。さまざまな名勝負が繰り広げられている将棋会館に50名の報道陣が来たのは初めての記録です。実際に藤井六段と戦ってみてわかったのは、頭脳プレーができるところです。私は「矢倉」という囲いの戦法を得意としているのですが、1つだけ苦手としているパターンがあって、彼は私との対戦で、その弱点を突いてきましたからね。
弘兼 つまり、加藤九段の戦法を研究していたということですか?
加藤 そうです。普通の棋士は、自分が得意なパターンで攻めてきますが、藤井六段はあえて私の苦手なところを攻めてきた。研究熱心であると同時に、14歳(当時)の少年にしては大人びている印象を持ちました。
弘兼 藤井六段の将棋を見ていると、どのようなタイプの将棋でも打てる器用さ、賢さを持っているように見えますね。
加藤 はい、藤井さんの将棋は本当に魅力的でして、研究していても楽しいです。彼のすごいところは、15歳の若さで欠点が一つもないことですね。
弘兼 本当ですか?
加藤 対戦した私が言うのですから間違いありません。まさにスーパースターの登場です。私はキリスト教徒で、神様の存在を信じているのですが、私が引退するタイミングで藤井六段が登場したことは、神様の計らいだと思っています(笑)。
弘兼 大絶賛ですね。加藤九段も若い頃からご活躍されているから、ご自身と重ねて見られているところもあるのではないですか。
加藤 実際、藤井六段が活躍すると、私の名前もクローズアップされるんです。彼が中学生棋士としてデビューした時は、中学生初のプロ棋士となった私のことが「元祖」として紹介されました。彼が新記録を立てると、私の記録と比べられます。抜かれたものもありますが、まだまだ私の記録には及びません(笑)。
弘兼 相撲の例だと、千代の富士が貴乃花(当時貴花田)に負けて引退して、そこで新旧の入れ代わりがありました。あの状況に似ている感じがします。
加藤 新旧の入れ代わりは、どの時代にもあります。古い話になりますが、72年の名人戦で当時無敵だった大山康晴名人に、24歳の中原誠二冠が勝ちました。まさしくあれは新旧交代を裏付ける決定的な戦いで、そこから中原時代が始まりましたからね。
弘兼 なるほど、私たちはまさに藤井さんという天才の時代の幕開けを目撃したということですね。
■弘兼憲史(ひろかね・けんし)1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒。松下電器産業(現パナソニック)勤務を経たのち、74年に漫画家としてデビュー。現在、「島耕作シリーズ」や「黄昏流星群」を連載するほか、作家、ラジオのパーソナリティーとしても活躍中。「新老人のススメ」(小社刊)など著書多数。
■加藤一二三(かとう・ひふみ)棋士九段。1940年、福岡県出身。早稲田大学中退。第40期名人。仙台白百合女子大学客員教授。54年、当時の最年少記録となる14歳7カ月で史上初のプロ棋士となる。17年6月の引退まで、62年10カ月にわたりプロ棋士として活躍。00年紫綬褒章を受章。通算成績は2505戦1324勝1180敗1持将棋。現役引退時点で勝利数は歴代3位、対局数と敗戦数は歴代1位。近年は「ひふみん」の愛称でバラエティー番組など多くのメディアに出演。