今シーズン復活を果たした松本哲也(28)も、寮長として思い入れのある選手だ。忘れられないのは松本の一軍デビュー戦。一塁ベースを踏み違え、くるぶしを骨折した。松葉ヅエで寮に帰ってきた松本を励ますのではなく、樋澤氏は松本に説教を始めた。
「防げるケガと防げないケガがあります。松本の場合、明らかに防げるケガでした。自分の長所である走塁でケガをするようではプロ失格。そんなことを言いながら怒ったら、松本は泣きそうな顔をしていましたね。そのあとは寮で一軍のナイター中継を見ながら、よく野球の話をしました。僕はコーチ経験があるので、こういう場合はどうしたらいいかなど、アドバイスを送ってね。今年、松本が復帰した際、『寮長さんとの野球話が忘れられません』と言ってくれました。寮を出て体調管理の難しさもわかっただろうし、今後は自分でケガをしないためのくふうをしてもらいたいですね」
松本は寮を出たくないタイプの選手だった。樋澤氏が言うように、食事などの自己管理に自信が持てなかったのだろう。そうした選手は数多い。
だが、寮には毎年、10人以上の選手が入ってくる。「外の世界を勉強してこい」と言って、選手を送り出すのも寮長の仕事だった。
一方、寮長職以外でも、樋澤氏はスコアラー、コーチとして、今季の立て役者たちとコミュニケーションを図ってきた。
今季MVPの阿部慎之助(33)は、樋澤氏のスコアラー時代に入団。よみうりランド近くの居酒屋で、酒を酌み交わすこともあったという。
「話すのはお互いに野球のことばかり。慎之助の野球への情熱は球界随一だと思います。それに、厳しさと優しさを持っている。チームメイトを思って、手が出ることもありますからね。生まれ持ってのキャプテンです。だから慎之助がグアムで行っている自主トレに、勇人が同行したいと言ってきた時は、『いい先輩を持ったな。ちゃんと吸収してこい』と、文句なしで許可しました」
最多勝の内海哲也(30)もスコアラー時代に入団し、樋澤氏が寮長となってからも、内海が寮を訪ねてくる関係だったという。
「まだ内海も独身でしたし、よく洗濯物を持って寮に来ましたね。さらに目当ては昼飯でしょうから、『食って行けよ』なんて言ったりしてね」
寮には、ウエートトレーニングルーム、プール、打撃練習場が完備されている。そのため、寮を卒業した選手が練習のために寮を訪れることもあるのだ。食事、練習場、そして人間教育が、現在の巨人を支える強力なバックボーンとなっているのは間違いない。
「それだけでなく、寮長が監督に意見を言いやすい環境が整っているのも巨人の強みでしょう。選手が寮を出るかどうか、常に監督と相談しています。特に、今監督をやっている原とは、彼が入団した時からの長いつきあい。彼がプロに入って最初の打撃練習で、バッティングピッチャーの手伝いをしたのが私だったんですよ」
次号でも、盟友である原辰徳監督(54)との思い出、ONの存在、そして、球団史を彩るスターたちに関して、樋澤氏の話から、巨人という球団の伝統と強さの秘密をかいま見たい。