「日航機墜落事故で『球団社長死亡』が輪を作った」
1985年、球団創設49年目にして初の日本一に輝いた阪神タイガース。伝説のバックスクリーン3連発から始まったあの快進撃こそ、球界史上最も鮮烈な「V字飛行」だろう。
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「あの時は復活というよりも挑戦だったんじゃないでしょうか。ずっと低迷(前年は4位)していたし、みんなが頂点を知りませんでしたからね」
こう語るのは、あの年、ゲイルの13勝に次ぐ12勝をあげた野球解説者の中田良弘氏だ。確かに、1リーグ時代に4度、セ・パに分かれてからも3度の優勝を誇る阪神は、21年間も美酒から遠ざかっていた。前出の中田氏が続ける。
「あの日本一は、(大砲の)バースがいて軸がしっかりしていたから、それに沿って打順を組めたことが大きかったと思います。サッカーやバレーボールなどの(チーム)スポーツを見ても一緒でしょう、柱がしっかりしていると強い」
かつて初代ミスタータイガース・藤村富美男率いる猛虎はダイナマイト打線と呼ばれて恐れられたが、この年のクリーンアップ、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田は3割、30本、100打点超を果たす。特に打率3割5分、54本塁打、134打点という驚異的な数字を残したバースは、終盤に足を骨折しながら数試合で復帰し、チームを牽引。まさに「神様、仏様、バース様」だった。
「その打線が投手陣を育ててくれましたね。先発陣の防御率なんて4点台じゃなかったかな。初回に3点ぐらい取られてしまっても、パッとマウンドに集まって来てくれて、『取られたもんはしゃあない』『すぐに逆転してやるから、ここから抑えてや』と声をかけられた。こちらも『そやな。5回まで頑張ろう』ともう一度、仕切り直せました」(中田氏)
とはいえ、打撃陣だけでV字復活したわけではない。58試合に登板し、8勝5敗1Sをあげ、亡き名将・西本幸雄氏をして、「陰のMVPこそ(中継ぎ投手の)福間だ」と言わしめた。
野球評論家の福間納氏が回顧する。
「西本さんの言葉は本当にうれしかった。(心の)どこかで、シーズン中から打線ばかりが評価され、悔しい思いはあった。もちろん、投手と打者が仲よくなかったというわけじゃないが、阪神はいい意味で個人集団でもあった」
そんな個性派軍団が一丸となる事件が起きた。日本中を震撼させた8月12日の日航機墜落事故。不幸にもそこに就任したばかりの中埜肇球団社長が搭乗していたのだ。チームも翌日の巨人戦から6連敗を喫して、失速。連敗ストッパーとなった福間氏が続ける。
「阪神は何だかんだいって個々のチームだった。それが社長の死でチームプレーをしようと。死後、巨人、広島相手に5連敗し、横浜に移動する際、岡田の提案で選手全員のミーティングを開き、一丸となろうと結束を固めた。翌日は負けたけど、その後は死のロードを乗り切り、9月25日まで連敗は1回しかなかった」
その求心力こそ、就任1年目の吉田義男監督の存在だった。
「采配は非情に徹していても失敗した選手にまたチャンスをくれる監督でした。私が先発した時(勝利投手の権利目前の)4回2死の場面で代えられたことがありました。遠征先のホテルに戻るとチームマネジャーが『監督が、これでメシでも食べてこい』って。失敗して次にチャンスをもらった選手は、監督の思いに応えたいと頑張れるものです」
シーズン中からチームでも自分のためでもなく、「監督のために投げた」と言う福間氏が、現在、低迷を続けるチームの「V字復活」について語った。
「今の阪神の補強を見ていると、外から獲ってきてばかりで、昔の巨人を見ているようで心配ですわ。今年の巨人は(自前の)内海や澤村らが育ち、優勝に貢献しているのに。例えば、(前ツインズの)西岡剛を獲り、(今夏から二塁に定着させた)上本博樹はどうするのか。これから伸びようとしている選手を育てないことには、復活は先だろう」
猛虎ファンの嘆きが聞こえてきそうだ。