高校野球ファンにとって“縦縞のユニフォームのチームといえば?”と聞かれれば、ほとんどの人が馴染みとなっているのが帝京(東東京)だろう。2011年の第93回夏の選手権を最後に聖地からは遠ざかっているが、平成だけで夏2回、春1回の全国制覇を達成した強豪だ。それ以前にも春の選抜で2度、決勝戦に進出しているが、2度とも惜敗。3度目の決勝戦進出となったのが、平成元年。1989年第71回の夏の選手権だった。
この年のチームは3番に鹿野浩司(元・千葉ロッテ)、4番に吉岡雄二(元・読売など)を主軸とした強力打線が売り物。さらに吉岡は140キロ台のストレートを武器にする右本格派のエースでもあった。帝京は同年春にも選抜に出場し、当然のように優勝候補の一角と目されたが初戦で報徳学園(兵庫)の前に6‐7で敗退。その悔しさをバネにしての夏の選手権だったこともあり、危なげない横綱相撲で勝ち進んでいくのである。
組み合わせ抽選の結果、2回戦から登場することとなった帝京は初戦の米子東(鳥取)戦を3‐0で下すと続く2戦は猛打爆発。桜ヶ丘(山口)を10‐1、海星(三重)を11‐0と二ケタ得点の猛攻で圧倒。この3試合で鹿野は8打数連続安打という大会最多連続安打記録(タイ)を樹立するなど投打ともに絶好調のままベスト4へと進出。準決勝でも秋田経法大付(現・明桜)を相手に吉岡がわずか2安打しか許さずに4‐0と完勝し、ついに同校史上初の夏の甲子園決勝戦へと駒を進めることとなったのである。
“3度目の正直”をかけて挑んだ決勝の相手は、これまた“東北勢悲願の甲子園初優勝”を背負う仙台育英(宮城)との決戦となった。仙台育英のエースは“みちのくの快速球”と言われた大越基(元・福岡ダイエー)。試合は白熱した投手戦となった。ともにチャンスは作るものの、決定打が出ずに無得点。そして0‐0で突入した延長10回表に、ついに均衡が破れることとなる。1死二、三塁のチャンスを作った帝京が、頼れる3番・鹿野の中前先制適時打でついに2点をもぎ取ったのだ。その裏を吉岡がきっちり抑えて2‐0。ついに全国制覇を達成したのである。投の優勝の立役者・吉岡は全5試合に先発し、3完封。41回を投げて失点わずか1という完璧な投球を披露した。失点1での優勝は74年第56回大会での銚子商(千葉)以来の快挙だった。
夏2度目の優勝はこの6年後の95年第77回大会。この時も何かの偶然か、同年春の選抜で初戦敗退していた。投手陣を整備して挑んだ夏は本家穣太郎と2年生の白木隆之の2本柱でまさかの快進撃。初戦の日南学園(宮崎)戦を延長11回、2‐1のサヨナラ劇で競り勝つと続く東海大山形戦は8‐6で打ち勝つ。東京都対決となった準々決勝の創価(西東京)戦は8‐3で圧倒し、準決勝の敦賀気比(福井)戦は2‐0と今大会初の完封勝利で夏2度目の決勝戦へと進出。“北陸勢初の甲子園制覇”を狙う星稜(石川)との対戦となったが、星稜の本格派左腕・山本省吾(元・オリックスなど)に7安打を浴びせ3得点。投げては2年生の白木が1失点完投し、3‐1。みごとに夏の選手権2度目の優勝を飾ったのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=