長らく不調にあえいでいた当代随一のスター騎手が2年ぶりのGⅠ制覇を果たした2012年。だが、本誌は12月6日号で「武豊が社台グループに干された」という記事で、それでも競馬界の巨大軍団にニラまれ厳しい環境に置かれていることを指摘し、反響を呼んだ。今回は、その決定打となったさらなる「因縁レース」の裏事情を全て明らかにする。
勝負どころで馬群をさばけず
社台グループ─。現競馬界でその生産馬が次々と台頭し、JRA重賞レースの勝ち鞍を席巻する実力派巨大軍団であることは、競馬ファンの誰もが認めるところだろう。社台ファーム(吉田照哉代表)、ノーザンファーム(吉田勝己代表)といった、創始者・吉田善哉氏の子息が運営する牧場から輩出される馬は今や、厩舎、調教師、騎手にとって、半ば「不可欠」なものとなっているのだ。
03年から05年まで3年連続年間200勝以上を達成するなど、天才の名をほしいままにした武豊(43)がここ数年、極度の不調に陥っているのは、社台グループを怒らせ、敵に回したことが一因‥‥本誌は昨年12月6日号でそう書いた。発端となった「事件」として、10年秋のジャパンカップ(GⅠ)の、レース後の審議を巡る「舌禍トラブル」が競馬関係者の間では指摘されているが、武本人も言うとおり、多分に「誤解」「曲解」が介在している可能性は高い。
本誌は、武が社台に干された原因をさらに探るべく取材。すると、「真相は別の原因にある」と、社台グループと深い関係を持つ馬主が重い口を開き、社台を代弁したのである。まず最初に問題となったのは、ヴィクトワールピサという社台ファーム生産馬のレースだった。
「09年10月の新馬戦からずっと武が乗っていた馬ですが、10年4月の皐月賞(GⅠ)、5月の日本ダービー(GⅠ)で岩田康誠に乗り替わった。そこまで5戦4勝だった武は、皐月賞直前の3月に毎日杯(GⅢ)で落馬、鎖骨と腰椎を骨折する大ケガを負い、長期休養を余儀なくされたからです。岩田は皐月賞を勝ちましたが、それでも馬主の市川義美氏は武をひいきにしていて、『乗れるなら乗せてあげたい』と言っていました」
その年の10月、骨折から復帰した武は、世界最高峰の競走とされるフランスGⅠ・凱旋門賞でヴィクトワールピサと再度タッグを組んだ。馬主が続けて明かす。
「しかし、この内容がヒドかった。20頭立てであとから行くと馬群に揉まれる危険性があるのに、馬群に包まれたまま後方4、5番手で最終コーナーを回った。直線の勝負どころでは馬群をさばけず、追いだしてやっと伸びた頃にはすでに遅し。7着に終わりました。この馬、実は半分は吉田照哉氏の名義なんです。それで照哉氏は『騎乗ミスだ、もうユタカの時代は終わったな』と激怒した」
馬群に沈んだまま、競馬場をぐるっと回ってきただけ。そんなふがいないレースぶりに、社台の重鎮が憤慨したのだ。
とはいえ、この1レースだけで直ちに斬り捨てたわけではない。武にとって名誉挽回のチャンスはすぐに巡ってきた。