第54代横綱の輪島大士さんが10月8日に70歳で亡くなっていたことがわかった。大学相撲出身で初の横綱となった輪島さんは、初土俵から22場所目の1973年7月場所に横綱昇進という異例のスピード出世を果たし、北の湖とともに70年代の「輪湖時代」をけん引。引退後には金銭問題でメディアをにぎわせた末、1986年には全日本プロレスに電撃入団し、世間を騒がせていた。
そんな輪島さんの訃報に接したプロレスファンからは「なぜプロレス時代の功績をほとんど報じないんだ!」との不満が爆発しているという。確かに第一報の時点で、ほとんどの報道では「プロレスラーに転身」という事実を紹介するのみ。まるでタブーなのかのごとくプロレス時代の実績には触れないメディアに、スポーツライターも疑問を呈する。
「輪島さんのプロレス転身は当時、相当な大ニュースでした。プロレスラーとしては不器用でしたが、38歳での転身とは思えない身を削るようなファイトは観る者の心を揺さぶったもの。同じく大相撲出身で前頭筆頭だった天龍源一郎とは殴る蹴るのゴリゴリで熱い試合を展開し、ファンからの支持を集めていたものです。また横綱時代には左下手投げを得意技にしていたことから、プロレスでは左腕を相手の首に巻き付けた状態から投げ捨てる『ゴールデン・アームボンバー』を開発。その技は今、のど輪から投げ捨てる『チョークスラム』へと進化し、国内はもちろん海外のリングでも広く使われる技となりました。活動期間はわずか2年に過ぎませんでしたが、『レスラー輪島』の存在はファンの脳裏に深く刻まれています」
だが、多くの訃報記事ではそのプロレス時代をさらっとだけ紹介。むしろ「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)での大ボケ発言など、バラエティタレントとしての紹介に多くの文章を割いているほどだ。
「もし輪島さんが5年、10年とレスラーを続けていたら話は違っていたはず。しかし2年間に過ぎないレスラー生活は輪島さんの歴史にとってはタレント時代よりも短く、プロレスに興味がない層にとってはイメージが湧かないのかもしれません。今回の訃報を見て初めて『プロレスもやっていたのか!』と思った人も多かったのではないでしょうか」(前出・スポーツライター)
2009年には大相撲の解説を担当。これは廃業した元親方としては異例の出演だったという。輪島さんのご冥福をお祈りします。
(金田麻有)