土俵の上では鬼神のごとく猛々しい表情で勝負に挑んでいた輪島だったが、いったん土俵を下りれば、そのキャラクターで、記者や角界関係者からも愛された。スポーツ紙デスクが言う。
「あれは大関昇進の時です。協会の使者に口上を述べる際、『謹んでお受けします』と言ったものの、あとが続かない。しばらく考えたあと、『えっと、次何と言うんですか』と親方とやって、花籠部屋の会見場は爆笑の渦に包まれた。本当に憎めない人でした」
かと思えば、横綱昇進の際は「稽古に精進します」などの言葉はなく、
「僕なりにマイペースにのんびりやります」
とコメントするなど、元祖オレ流を貫いていた。
当時、伝統と形式を重んじる角界にあって、輪島は規格外だった。言葉遣いひとつとっても「稽古」ではなく「練習」という言葉を使う一方、四股やテッポウといった稽古よりもタイヤを引きずって走るトレーニングを重視した。
「稽古のやり方からして、今までのものを否定したんです」(スポーツ紙デスク)
華々しい成績とは裏腹に、金星を数多く献上したのも、記録ではなく記憶に残る名横綱ならではと言えよう。36個目の金星を配給した時のことである。
「NHKのアナウンサーが取組後のインタビューで『あの黄金の左はどこへいったんでしょう』と突っ込むと、輪島は『まだ、まだ健在です。昔は左でしたが、今は金星を与えるので、黄金の左と呼ばれています』と切り返した。アナウンサーは二の句が継げなかったそうです」(スポーツ紙デスク)
おちゃらけているのではなく、本人はいたって真面目。どこか、球界のミスターこと長嶋茂雄氏の語録を聞いているようである。それだけではない。古参の相撲記者が明かす。
「知人から銀座の簡易公衆電話に電話がかかり、通話制限時間が迫った。相手がもう切れると伝えると、大丈夫、こっちから10円入れるからと答えた。トイレ(WC)とCMを混同したり、辛子明太子を『さちこめんたいこ』と思い込んでいたり、『オレは猫背だから、熱いものは食べられない』と真面目に言い放ったこともある」
ベテラン相撲記者が、プロレス界にデビューする前後のエピソードを紹介してくれた。
「ある友人の家に呼ばれていった時のことです。冷蔵庫のもの、食べていいよと言われて食べたのが、なんとキャットフード。友人は『これ、キャットフードだよ』と驚いたが、おいしいねと平らげてしまった。本人はキャットフードをコンビーフと誤解している様子でした。全日本プロレスに入団して馬場家に招待された時も、元子夫人に『輪島さんは何がお好き?』と聞かれ、すかさず『キャットフードです』と答えている。これには、苦笑いするしかなかったそうです」