昭和を代表する大横綱だった輪島大士氏が去る10月8日、下咽頭ガンと肺ガンによる衰弱で亡くなった。土俵上ではその「黄金の左」で数々の名勝負を繰り広げてきたが、その一方で私生活での豪快エピソードには事欠かなかった。晩年はガンで声帯を失ったものの最後まで“現役”を貫いた。「栄光と挫折」に彩られた波乱万丈の70年を、10月16日発売の「アサヒ芸能」10月25日号誌上で振り返っている。
輪島と言えば、「黄金の左」の異名をとり、ライバル北の湖と優勝を競い合い「輪湖時代」と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた。その一方、私生活は破天荒そのものであった。ベテラン相撲記者もこう語る。
「学生相撲から相撲界入りした時も、パーマをかけ、周囲をアッと言わせました。しかし、強かった。異色だったが、強さの裏付けがありました。横綱に昇進する時も、金色のまわしが目を引いた」
高級外車リンカーンを乗り回し、地方場所はホテル住まいというリッチな生活ぶりは、相撲関係者の間でも耳目を集めた。
「地方場所でホテル住まいというと、白鵬を思い出すが、それを最初やりだしたのは輪島です。白鵬は家族を伴ない、家庭サービスを兼ねているが、輪島は一人。好き放題できたわけです」(相撲関係者)
周囲の目を気にせず、放蕩三昧。金に頓着せず、その豪快な飲みっぷりは、誰からも愛され、その異色な人脈についても本誌記事で詳報している。さらに、角界引退後の流転の人生についても解説。アサ芸しか知らないエピソードが満載の4ページとなっている。