お笑いコンビ・サンドウィッチマンが11月1日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)に出演。元大物お笑いタレントと大物歌手が東日本大震災の復興活動において大きな原動力となっていたことを明かしている。
サンドウィッチマンといえば、2011年3月11日に東北地方一帯を襲った大震災発生時には、出身地である宮城県の気仙沼市の漁港でロケを敢行していたため、“あと少し逃げるのが遅れていたらオレらも死んでた”と後に振り返るほど、未曾有の天災による恐怖を肌で感じていた。
その後は被災地や避難所を巡りながら復旧活動の支援を続ける番組をスタートさせ、“東北魂義援金”なる口座を立ち上げるなど、東北地方の元気印として被災者にとっての希望の星であり続けてきたが、伊達は「“お前らが先頭切って動くんだ”ってボクらに言ってくれたのは(島田)紳助さんなんです」と明かし、支援活動の発起人の名前を明かすと、「“お前らが動けばみんなが付いていくから”というメールもくれました」と説明した。
「サンドウィッチマンにとって島田紳助という人物は最初のブレイクの切符を渡してくれた恩師。島田氏が発起人のお笑いコンテストのM-1グランプリで敗者復活戦からの優勝という離れ業をやってのけたサンドウィッチマンは、そのまま“漫才のスペシャリスト”としての道を邁進し、今回の告白によって、2011年にも紳助さんから2度目の道しるべがもたらされたということが明かされました。また、震災を間近で経験したサンドの2人は以降のネタ作りの台本に“死”というテーマを気軽に盛り込むことはやめたとも過去に話しており、『ぶっ殺すぞ』や『死ね』といった荒々しいワードは排除したようです。あの震災を乗り越えた2人は芸人としても人間としても大きく成長し、いい意味で変貌を遂げたと言えるんじゃないでしょうか」(テレビ誌ライター)
さらに、和田アキ子も震災発生以降、毎月義援金を振り込み続けていることを明かしたうえで、伊達は「(復興支援を)大先輩たちが見守ってくれているような気がした。だからこそたくさん活動ができた」と振り返り、支援に勤しむサンドウィッチマンを裏で支えた黒子役への感謝を述べている。
和田に対しては言うまでもないが、あえて、テレビの世界とはすでに袂を分かち、その名もテレビでは半ばタブー化している感のある紳助氏に対しても、後輩はその揺るぎない恩義を決して忘れることはないだろう。
(木村慎吾)