テリー ちなみに「大木凡人」という芸名は、何が由来なんですか。
大木 「銀座ハリウッド」というキャバレーで司会をやっていた時に、「(本名の)後藤清登じゃ、お客さんに親しみを持ってもらえないからダメだ。背が大きいから名字は『大木』。下の名前は‥‥好きな俳優はいるか?」と言われて、ジェームズ・ボンドから取りました。
テリー それ、映画のキャラクターじゃないですか(笑)。でも、銀座ハリウッドということは、それを言った人は‥‥。
大木 そう、福富太郎さんなんですよ。
テリー そうか、お別れの会で会ったのはそういうことだったのか。大木さんから見た福富太郎さんは、どういう人物でしたか。
大木 非常におおらかで、それでいてあっけらかんとしている一方、非常に言葉に説得力のある方でした。例えば、店が始まる前に従業員の点呼を取るんですけれど、その時に「お客さまがこういう人だったら、こんなふうに対応しなさい」と訓示をするんですが、またそれがすごく的確なんです。男性心理を知り抜いているその言葉に、日々感銘を受けていました。
テリー 確かに、頭のいい人でしたね。
大木 あと、有名人を優遇するので、すごい人たちが何かとお店に足を運んでくれていましたね。
テリー へえ、特に印象に残った人なんかいますか。
大木 紀伊國屋(書店)のオヤジ(田辺茂一)が連れてきた立川談志さんですかね。あの人は本当にいいかげんで、「お前の司会は見どころがある。一回、俺のとこに来い。弟子にしてやるから」と言われたものですから、本当に日本テレビまで行ったんですよ。そしたら「おお、来たか。あれは酒の上での冗談だ。帰れ」って言われまして(笑)。そんなの、信じられないでしょう。
テリー アハハハハ、いいですねぇ、無責任で。
大木 ただ、あとで話を聞いたら、そんなふうに帰らせても、めげずに何度も来る人を弟子に取っていたらしいですね。もっとも、知っていても、当時の僕は忙しくて行けなかったですけどね。夜の仕事に加えて、昼間は演技の学校に通っていましたから。
テリー 大木さんにとっては、それでよかったんじゃないですか。だって、当時はキャバレーがいちばん華やかな頃だったでしょう。司会業だけで、てんてこまいじゃなかったですか。
大木 そうなんです。僕にも学習院大学を出たばかりの子と、テレビドラマ「細うで繁盛記」に出ていた女優、2人の弟子がついていたんですよ。そのあともいっぱい弟子がつきました。
テリー あ、女の子に手を出しちゃったんでしょう。
大木 いえいえ、弟子にはさすがに。確かにキャバレーの子にはモテましたけど、同じお店の女の子に手を出してはいけないルールがあったんですよ。それをやったらクビですから、たいていは、よそのキャバレーの女の子でしたね。
テリー 実際問題、キャバレーの司会は、どのぐらい稼げるものなんですか。
大木 給料は大したことなくて、頼りはチップです。たくさんくれる人で3万、もっと景気のいい人は5万ぐらいくれましたから。
テリー ええっ、あの頃の5万円っていったら今だと40万~50万円くらいですよ。それが一晩でもらえちゃうんだ。
大木 そうなんです。200万円持ってきた人もいたんですけど、その人はゲイで「僕とつきあわない?」と言われたので、さすがに断りました(笑)