東日本大震災の復興に、原発の是非、果ては恋愛まで、今の日本はあらゆる意味で、難問を抱えている。そんな混迷の時代に求められているのが、作家・伊集院静だ。言葉がこれだけ軽く無責任な時代に、伊集院の言葉は、アサ芸世代にも広く共感を呼んでいる。その〈男の流儀〉とは何なのか。2週連続でお届けする。
──伊集院さんといえば、まず東日本大震災のことを、おうかがいしたい。仙台の自宅で仕事中に被災されましたが、あらためて、1年半以上経過した現時点で、震災は日本人をどう変えたんでしょう。
伊集院 日本人の生きる考え方を変えたっていうのは間違いないですね。まず、アメリカ人やオーストラリア人は震災がある土地の上に生きているということの不安感は抱くことはないわけじゃないですか? 日本人は地震を前提に生きざるをえない。それはもう「死生観」にも影響しますから‥‥。
──そうなると、ふだんの生活から死を意識せざるをえないことになりますね。
伊集院 そうなると人間というのは「生きる」ということに関して不安定にならざるをえない。本来、人は死を意識しないこと、つまりある種の“楽観的死生観”が物事を楽しんだりすることにつながっていく。アサヒ芸能を読んでいて「いい裸だなー」って思う時には、死のことを考えたりしないでしょ?
──そういう意味では、震災後の日本というのは、真の意味で快楽を素直に楽しめなくなっているかもしれません。
伊集院 快楽って人間にとって必要なことだけど、そういうものの受け入れの形が変わってくる。本当なら死のことはふだんから考えないように人間はできているからね。今の時代はそれが難しい。
──では、人間関係についても、震災の前後で、変化はありましたか?
伊集院 人間関係に関しては、刹那的な部分が増えるようでいて、実際は増えなかったように見えます。
──一般的には「どうせ死ぬんだから好きなことしてしまえ」と自暴自棄になるのではなく?
伊集院 自暴自棄になるとは思いません。恐らく7割から8割‥‥いや9割くらいの人がそうだと思います。
むしろ家のことや人間関係をキチンとしようと思うようになる。だから震災後の日本というのは人間の徳の部分が増えていることは確かですよね。
──それは震災当時から仙台にいらっしゃって体感されたことですか。
伊集院 そうかもしれませんね。避難所にいる人たちを見ればわかりますよ。震災後、風俗が真っ先に復活するんじゃないかって噂あったけど(笑)、実際はしなかったからね。娯楽は、2番目3番目になってしまうんですよ。
他国でも同じだと思いますね。自分や家族、それとの対社会を考えていくと、いがみ合ってはいられない。災害や大きな問題があった時っていうのは、やっぱり感情よりも理性が働くんだと思います。人間は、徳性を大事にするんです。
──限界の時だからこそ、人間らしい理性が働くと。
伊集院 わかりやすい例で言えば、戦争で焼け野原になったあと、生き残った人たちが最初にやったことが何かというと、まず「雨、風をしのげる家を建てよう」とか「泣いている子がいたら助けよう」ということだった。それがある程度、出来上がってくると、今度はアレを楽しむ、コレを楽しむといった娯楽について考え始めるんですね。
──震災という緊急事態に直面したからこそ、いろいろな生々しい部分が見えたというのもあるんですね。