紳助と板東との出会いは、「紳助・竜介」時代に遡る。当時のギャラは2人で5万円だったが、板東のラジオ番組に出演した際に、板東みずから10万円を差し出した。差額を返そうとした紳助に、板東はこう切り返した。
「ああ、かまへんかまへん。将来、売れたら返してもらうから。取っとき」
以来、2人の仲は公私にわたり、板東の葬儀委員長を紳助が務めることが決められているほどの仲となる。紳助は、板東が死んだ際にこんな葬り方をしたいと言っている。
「棺桶に(故郷の)鳴門名物さつまいもを入れて一緒に燃やし、葬儀場ににおいを充満させて召されてもらう」
紳助といえば、現金は1000万円以上持たず、それを超えた金は投資に回すという主義の人物だ。投資対象は株だけではなく競売物件を中心とした不動産だった。ある芸能関係者は、ここに板東の影響があると指摘する。
「競売物件の投資手段は、もともと板東さんのものです。中日時代にサウナを経営していましたが、そのビルは名古屋の繁華街・栄にあり、完成当日にオーナーがパンクし逃亡した競売物件でした。彼はみずから裁判所に出向き、7400万円で買ったのです」
自身の父親が契約金を株でスッたことから、「株で負けた分は株で取り返したる!」と決意。翌日には「会社四季報」を購入して読みあさり、練習の間に短波放送の株式放送を聞いていた。番組制作スタッフはこんな姿を目撃している。
「ドラマ撮影の時です。出演していた板東さんが、シーンとシーンのちょっとした間にスタジオを抜け出したんです。携帯電話を片手に株の話をコソコソしていて『2000いかれた‥‥』などと言っていました。単位は千万です。エジプトへ撮影に行った際も、携帯電話で株の取り引きをしていましたね」
競売物件、株など投資の世界でも先輩格だった板東は、紳助に財テクを指南し、「金庫番」を“拝命”されていたようだ。
99年、紳助が番組で「板東からある自動車会社の株を勧められて大損をした」とこぼしたことがあった。板東に推奨の理由を問いただすと「その会社の車に乗った時にいいにおいがした。だから株も上がると思った」と言ったという。在阪の放送作家が語る。
「紳助と板東が株式投資の相談をしていた時、大阪府知事だった横山ノックが通りがかり『養命酒イケるぞ』と2人に声をかけたそうです。2人はノックが知事の立場で特別な情報を持っていたと思い込み、慌てて養命酒製造株式会社の株を大量に購入しました。結果は大損です。単に養命酒が健康にいいという意味で言ったのを勘違いした結果でした」