曽祖父から4代受け継がれた武一族の天才DNA。豊の弟、幸四郎のデビューによって、一族への注目度はさらに高まることになる。そうした状況とは裏腹に、豊は05年にディープインパクトで3冠、年間212勝をマークするが、その頃すでに危険な兆しが忍び寄りつつあった。
武豊(43)は98年、スペシャルウィークで念願だったダービーを制しているが、この馬とのコンビでは幸四郎(34)との浅からぬ因縁がある。
スペシャルが新馬勝ち2戦目だった98年1月6日の京都・白梅賞には、デビュー2年目の幸四郎の馬も出走。名古屋から中央入りしたアサヒクリークで、スペシャルは1番人気、アサヒは16頭立ての14番人気だった。誰の目にも力の差は歴然と思われたが、結果はなんと、アサヒ1着、スペシャル2着。
「歯牙にもかけていなかった弟の馬にまさかの敗戦。豊は気分がいいはずはない。それでも『強かったな』と祝福すると、幸四郎はシラッと『勝っちゃった』。いかにも天然ボケ系の弟らしい返答でした」
こう証言するのは、関西の競馬記者である。さらに続けて、
「スペシャルは賞金の上積みをできなかったこの1戦が誤算で、弥生賞まで月1ペースで3戦を強いられた。1番人気に押された皐月賞での3着は、この押せ押せのローテーションも敗因の一つだったと言われています」
幸四郎はこの前年のデビュー時から意外性のある騎手だった。97年3月1日の阪神でデビュー。翌日のマイラーズカップ(GⅡ)をオースミタイクーンで初勝利を飾った。デビューわずか2日目の、しかも初勝利が重賞というのは、史上ただ一人の記録である。これまでのGⅠ3勝は、00年の秋華賞ティコティコタック( 10 番人気)、03年NHKマイルCのウインクリューガー(9番人気)、そして06年の菊花賞ソングオブウインド(8番人気)と、いずれも人気薄馬でマークしたもの。兄弟で最多勝利新人騎手になっているあたりは天才一族のDNAがなせる技なのだろうが、
「幸四郎は新人の年の活躍で終わっています」
と酷評する関西の専門紙記者もいるほどなのだ。
豊と幸四郎は年が9歳離れている。本誌競馬連載の「武豊番」片山良三氏が言う。
「父・邦彦は幸四郎を孫のようにかわいがり、豊にとっては子供みたいな存在。そのせいもあってでしょう、兄を尊敬する弟と、弟を思いやり何かと心配する兄、うらやましくなるぐらいの関係です」
豊の騎手生活は父がそうだったように、武田作十郎厩舎所属でスタートしているが、幸四郎は1年間だけだったとはいえ、父の厩舎に籍を置いてからフリーに転じている。栗東トレセン関係者によれば、
「邦彦は競馬記者に会えば、『幸四郎をよろしく』『よく書いてやってください』と頭を下げていました」
「騎手になりたければ、なればいい」と突き放さんばかりだった豊とは雲泥の差と言っていい。