戦後の日本を照らしてきた“昭和の歌姫”美空ひばりが、52歳でこの世を去ったのが平成元年だった。
デビューして以来、約500曲ものオリジナルソングをレコーディングし、その多くが名曲として語り継がれ、聴き継がれていることは、もはや説明の必要はないだろう。
しかし、昭和60年5月に自身の誕生日記念ゴルフコンペで腰を悪くしたのをきっかけに、次々と病魔に襲われることになる。62年には、全国ツアーの公演先の福岡市で緊急入院。「突発性大腿骨頭壊死症、慢性肝炎」と発表され、そのまま3カ月もの入院生活に入った。
「様々なトラブルで世間を騒がせながらも、家族の絆を第一に決して見放すことのなかった実弟2人の相次ぐ死もあり、酒量が増えていったことで様々な病気を呼び込んでしまったと言えるでしょう」(音楽関係者)
50歳の誕生日をベッドの上で迎えることになったが、年末には復帰を果たし、63年4月には完成直後の東京ドームで復活公演を成功させる。その姿は「不死鳥」と呼ばれ、歌姫伝説に新たな1ページを加えることとなった。しかし、その後、入退院を繰り返すようになってしまう。
平成元年、当時17歳だった息子の加藤和也氏がプロデューサーとして携わった、4月の横浜アリーナ公演には「はってでも舞台に出たい」と言っていたが、これも叶うことはなく6月24日に帰らぬ人となり、日本中が悲しみに包まれた。
あれから30年、平成の時代に美空ひばりに匹敵する“歌姫”が誕生したかというと…。今の音楽界、歌謡界、そして歌姫ともてはやされるアーティストたちを、彼女は天国からどう見ているのだろうか。
(露口正義)