昨年、コンサートのドタキャン騒動で世間を騒がせた、ジュリーこと沢田研二が、女優・田中裕子と再婚したのも平成元(1989)年だった。その結婚は、いくつもの困難を乗り越えてのものだった。
2人の出会いは、昭和57(1982)年と言われている。
「年末に公開された映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演したのをきっかけに、2人の関係が様々な形で報じられるようになりました」(芸能レポーター)
しかし、沢田は当時、7歳上のザ・ピーナッツの伊藤エミという奥さんがいた。田中とは、不貞で始まった恋だったのである。
「沢田と田中はマスコミの追及にもノーコメントを貫いてきましたが、そんな中、沢田が怒りを露わにするような場面もあり、ワイドショーの主役となっていきました。急展開を見せたのは昭和61(1986)年。沢田が妻と一人息子を置いて家を出たことがわかったのです。判を押した離婚届を置いてきたとも言われ、約1年後に離婚が成立。沢田は、不動産を含めた総額18億円もの資産をすべて慰謝料として譲渡しての成立でした」(前出・芸能レポーター)
これで田中との結婚への障壁はなくなったかと思いきや、これがそう簡単にはいかなかったのだ。
「離婚直後に、沢田の育ての親である渡辺プロ創業者の渡辺晋社長が亡くなり、とても結婚というムードではなくなった。さらに、一連の不貞報道によってファン離れが進み、ヒット曲にも恵まれず、ファンクラブが解散するという事態にまで追い込まれてしまったんです」(芸能記者)
こうしたドタバタの中、逆に今度は2人の破局説が囁かれるようになったという。
「しかし、その裏では着実に愛をはぐくんでおり、田中の父親の葬儀では沢田は家族席に座り、出棺の際も田中を支える姿がありました。そして2人は、一周忌の喪が明けるのを待って結婚を発表しました。挙式は平成元年の11月。出雲大社で一般の5組のカップルに混ざっての初穂料2万円の超地味婚でしたが、田中の幸せそうな笑顔が印象的でしたね」(前出・芸能記者)
昨年のドタキャン騒動の際には、田中が沢田を叱責しながらも、「どうするかはお父ちゃん(沢田)が考えることやからね」と励ましたという。困難を乗り越えて結ばれた2人の深い絆は、平成の30年という年月をしても変わることがないのだろう。
(露口正義)