70年代を代表する人気グループ「フォーリーブス」のメンバーであり、解散後、人気番組の司会者としても活躍していたおりも政夫(65)。現在も夢グループが開催するコンサート「夢のスター歌謡祭」にて司会を務めている。
「フォーリーブス時代の曲を1曲選べと言われたら、やっぱり『ブルドッグ』(77年)ですかね。僕たち40枚近くもシングルを出してるけど、1年に4~5枚リリースして、歌詞と振りを覚えたと思ったら、はい、次!だもの(笑)」
歌謡曲を中心に芸能界が、いや、テレビそのものも回っていた時代である。
「当時はね、CBS・ソニーというレーベルだったんですけど、ソニーの社長さんがこう言ったの。『歌い手とは大ヒット曲を出すこと、これが一番だ。でも、フォーリーブスに関してはそれを望んでいない。その代わり、常に3割バッターでいてくれ』と。これはおもしろい表現だったね。しかもその言葉どおりになって、毎回出せば枚数は出る。けど、ベストテンに入るか入らないかくらいの中ヒットなんですよ。例えば、『踊り子』(76年)は、結成10周年記念曲で日本歌謡大賞特別賞を受賞したけど、中ヒット。『地球はひとつ』(71年)は大阪万博の翌年にリリースして、日本中の人に歌われました。けど、これも中ヒット。『ブルドッグ』は“にっちもさっちもどうにもブルドッグ”というフレーズがすごく人気になって、ジャニーズの後輩たちにも今でもステージで歌い継がれているけど、1位になったことはないんじゃないかな。それでも、すごくいい曲が多かったんですよ」
あのチューブを使っての奇抜なパフォーマンスが当たって、一世を風靡した。
「そうそう、チューブを使ってのアレがね。チューブ、チューブ‥‥、チューブじゃないよ、ゴムだよ(笑)。僕らはスパンコールのキラキラしたゴムを使っての振り付けをメンバー4人、それぞれが4色のゴムを使って斬新だったよね。今では2色減ってしまったけど」
02年、フォーリーブスは再結成をしている。が、北公次(享年63)、青山孝史(享年57)が亡くなったことで、4人での活動は幻となった。
「でもね、解散したわけじゃないから。僕らは再結成後、本当に家族のようだったね。グループって若い頃は自己主張ばかりでケンカも多く、お互い口をきかないなんてことはたくさん。みんな若いゆえの宿命ですよ。けどね、年を取ってからの集まりって、毎日が同窓会みたいなもの。僕らは稽古が終わったら毎回打ち上げでしたから。
楽屋もあえて『みんな一緒にしてください』って頼んでいたし、楽屋でのたあいのない会話がそのままステージでのトークになってました。江木(俊夫)とは、今でも年に何回か2人のライブをやっていますけど、北公次と青山孝史の映像を流して、そこで一緒に会話している感じです。北、お前、よく60歳までバック転やれたな~って(笑)」
夢コンサートでは、フォーリーブスの「ブルドッグ」をラストソングとして歌うことになっている。
「まさに昭和のタイムスリップです。僕たちも仲間もお客さんも、みんな昭和に青春を過ごしていたので、昭和オンパレードのコンサートってすごく楽しいと思う」